エホバの証人の輸血拒否


 昨日、リンクした「NATROMの日記」に関連記事があったので紹介しよう(時系列順)。

 Wikipediaによれば、この他にも兵役拒否、国旗敬礼・国歌斉唱を忌避、他宗の儀式へは参加しない、といった特徴的な行為が挙げられている。確か選挙の投票もしないはずだ。性行為もかなり規制されている。たとえ夫婦であったとしてもだ。


 実は個人的にエホバの証人が好きだ。今まで会ったエホバの人々は皆いい人だったからだ。それも、すこぶる付きの。聖書も実によく研鑚している。


 世界の諸問題の基底に共通しているのは欧米列強による帝国主義的思想であり、それを支えているのはキリスト教である――というのが私の持論である。それでもエホバの人々には好感を抱いている。


 しかし、輸血拒否となるとまた別の話だ。近頃、ろくでもないエホバ信者と遭遇した。独善を絵に描いたような人物だった。友人にその話をしたところ、「注射器を持っていって、おもむろに輸血してしまえよ」と言われた。嫌がらせという点では完璧だ。


 彼等がなぜ輸血を拒否するのか私は知らない。多分、神様がつくったものに対して勝手な人為を加えるのはダメだ、ってな話なのだろう。それはそれで宗教的整合性はある。だが致命的なことに、「神様がつくった」という証拠がない。証拠が出たら出たで、「じゃあ、神様をつくったのは誰なんだ?」という方向に議論は発展する。


 エホバ信者は“血の滴るようなステーキ”を食べないのだろうか。食料に混じっている血は無視できるのだろうか。はたまた、彼等の目にはドラキュラがどんなふうに映っているのだろうか。


 教義を盾(たて)にして、助かるべき命が助からなかったとすれば、それは「人命よりも教義に価値を置く」教えであり、「教義のために人間を犠牲にする」思想であると言ってよい。


 もっと簡単に説明しよう。輸血をしたエホバ信者がいたとする。教団はこの信者をどのように扱うだろうか。きっと「異端」の烙印(らくいん)を押すのだろう。多分、ノアの箱舟には乗せてもらえないことになる。つまり、教義が「差別意識を助長」してしまうのだ。そもそも、エホバの証人自体がクリスチャンの間では異端視されているわけだから、異端×異端=正統となるような気もする。


 神様が人間をつくったとすれば、神様はよほど不器用だったのだろう。全知全能の看板に偽りあり。


【追記 3月18日】「鰤端末鉄野菜 Brittys Wake」(元エホバ信者の方)によれば、「『血を避けろ』と聖書に書いてあるから」というのが輸血拒否の理由らしい。更に「実はエホバの証人も輸血OKだった時期があった」というのだから驚き。コロコロと変わる教義を律儀に守っている信者が気の毒だ。