古本屋の覚え書き

「ただ独り、不確かな道を歩め」エリアス・カネッティ

曖昧な死刑制度/『13階段』高野和明


 ・曖昧な死刑制度

『グレイヴディッガー』高野和明
『幽霊人命救助隊』高野和明
『ジェノサイド』高野和明

必読書リスト その一

「それで」と南郷は続けた。「他人を殺せば死刑になることくらい、小学生だって知ってるよな?」
「ええ」
「重要なのはそれなんだ。罪の内容とそれに対する罰は、あらかじめみんなに伝えられてる。ところが死刑になる奴ってのはな、捕まれば死刑になると分かっていながら、敢えてやった連中なのさ。分かるか、この意味が? つまりあいつらは、誰かを殺した段階で、自分自身を死刑台に追い込んでるんだ。捕まってから泣き叫んだって、もう遅い」南郷は、苛立った口調になった。頬のあたりの筋肉が、心の奥底の憎悪を押し殺そうとするかのように硬く緊張している。「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次に出てくるんだろうな? あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行なわれなくなるんだ。死刑制度を維持しているのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」

【『13階段高野和明講談社、2001年講談社文庫、2004年/文春文庫、2012年)】


 傑作といってよい。少し迷ったが「必読書」に入れた。迷ったのは他の作品が左翼史観にまみれているためだ。高い知性が正しい判断を導くとは限らない。欧米では神と悪魔を信じる科学者もいまだ多い。人の判断は情緒や情動に基づいているのだろう。

 私は死刑制度はあって然るべきだと考える。若い頃は反対の立場だった。死刑制度そのものが人の命を奪うことを正当化する矛盾を孕(はら)んでいる。生命が尊厳であるならばそれを踏みにじることは誰にも許されない。たとえどんな理由があったとしても。

 私の考えが変わったきっかけは二つあった。一つは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)である。4人の犯人は少年法で守られた。バブル崩壊(1991年)もさることながら、この事件は日本のモラルが崩壊する方向へと扉を開いた。本来であれば速やかに少年法を改正して厳罰に処すべきだった。法律のテクニカルなことはわからぬが勾留中に法改正をしていれば何とかなったのではないか。彼らは死をもって罪を償うのが当然だ。犯行現場が共産党員宅であったことが報道の熱を下げた節も窺える。息子のC少年が去る8月に殺人未遂事件を起こした湊伸治〈みなと・しんじ〉である。

 チンパンジーの世界で群れを危険に陥れる行動をした者はその場で撲殺されることを知った。確かドゥ・ヴァールの本だったと記憶する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』)。瞬時に死刑の意味を悟った。コミュニティを崩壊させる異分子を排除する目的で死刑は行われるのだ。死刑にはその血を絶やす意味もあったことだろう。

 左翼は死刑制度反対をイデオロギーの道具として活用する。彼らの活動は破壊に目的があり、国家の現体制に混乱を招くことができれば何でも利用するのだ。犯罪者の人権を声高に主張するのも仲間の多くが犯罪者のためだろう。

 定年間近の刑務官が仮釈放中の若者に仕事の声を掛ける。死刑囚の冤罪を晴らすための調査を依頼されたというのだ。しかも報酬は破格だった。若者の罪状は傷害致死。人を殺す意味が重層的に示され、曖昧な死刑制度にも踏み込んでいる。

祭り上げられた聖者/『通りすぎた奴』眉村卓


 ・祭り上げられた聖者

必読書リスト その一

 水の上へ右足を一歩踏み出す。その足が沈む前に左足を前に出す。更に、左足が沈まない内に右足を繰り出す。こうすれば水の上も歩けるだろう。観念論を嗤(わら)う喩(たと)えとしてよく用いられる話である。

 そう考えると人生とは、何を目指したかよりも、何を成し遂げたかに価値があるのかも知れない。だが、寝転がってお菓子を食べながら痩せる本を読んでいる、そんな生き方が実際には多くはないだろうか。願望は人一倍ありながら、はたまた、そのための知識を蓄えながらも全く進歩がない。そんな人をよく見かけはしないだろうか。あっ、いたいた、今、ディスプレイに向かってキーボードを叩いてるお前さんだよ。そう! 何を隠そうこの私がそうなんです。幼少の頃から、「歩く有言不実行」と母から罵られながらも今日(こんにち)までスクスクと育ったのでした。小学校高学年になると「ほら吹き童子」と言われ、中学になると「大風呂敷」と豊富な語彙(ごい)を巧みに使い回して、母は私をいたぶったのでした。その甲斐あってこんなに打たれ強い強靭な精神が涵養(かんよう)されるに至ったわけです(話を面白くするため、一部フィクションが含まれております。お願いだから信じちゃイヤよ!)。

『通りすぎた奴』と題した眉村卓の短篇がある。タイトルになっている作品は30ページあまりの掌編だが、実に味わい深いSFに仕上がっている。

 未来社会の都市、それは超高層の巨大な建物の内部に存在した。ここでの主要な乗り物はエレベーターで、現代の鉄道と変わりはない。全階停止の無料エレベーターや有料特別シート、特急などがある。

 この都市を登りつめようとする「旅人」が現れる。最頂部は25130階。その男はゆっくりと自分のペースで、金がなくなると賃仕事をしては、また登る。疲れると階段でスケッチを描き、悠々と登り続ける。建物の中で生きる都市の人々は何の疑問も持たず、外部への憧憬を抱くこともなく平々凡々と暮らしていた。「旅人」は明らかに異質な存在だった。数年を経て「旅人」は最頂階に辿り着く。そこでは「旅人」は「聖者」と呼ばれていた。

「みんなが“聖者”と呼ぶ人を拝んで、おかしいかな? たしかにあの人は“聖者”じゃよ。歩いて最頂部へ行くなんて、ふつうの人間にはとてもできん。それとも何かね? あんた、できるかね?」
「いいや。しかし、その気になれば誰だって最頂部へ登るくらい──」
「無責任なことをいっちゃいけないよ。考えついたり真似ごとをしたるするのと、ほんとうにやり通すのとは全然違う。あの人はそれをやったのじゃ。あんたはやっとらん。わしもしとらん。そこがだいじじゃ」

【『通りすぎた奴』眉村卓〈まゆむら・たく〉(立風書房、1977年角川文庫、1981年日下三蔵編、出版芸術社、2009年『日本SF全集 1 1957~1971』筒井康隆編、ちくま文庫、2015年『70年代日本SFベスト集成 3 1973年度版』)】


 エレ弁(エレベーター弁当)売りのオヤジと主人公のこんなやりとりがある。若き心に鮮明に焼きつけられたシーンだ。

 物語は都市に住む無知な民衆の狂気によって、恐るべき展開を遂げる。最頂部で彼を待ち受けていた暗い深淵に読者は戦慄を憶えるだろう。

大阪のドヤ街を駆け抜ける乙女/『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美


『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子

 ・大阪のドヤ街を駆け抜ける乙女

『職業は武装解除』瀬谷ルミ子

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト

 入佐明美は中学2年の時、岩村昇医師の存在を知った。岩村は日本キリスト教海外医療協力会からネパールへ派遣された医師で、結核治療・伝染病予防を推進した人物だ。看護学校を卒業した入佐は、直接岩村と会いネパール行きの希望を告げ、快く承諾された。直後に岩村から連絡があり、「ネパールへ行く前に釜ヶ崎結核と戦ってほしい」と頼まれた。釜ヶ崎といえば、あいりん地区である。東京の山谷(さんや)と並んで日本の二大ドヤ街といわれる地域だ。入佐はネパール行きの夢を胸に、結局本書が刊行されるまでの18年間にわたって釜ヶ崎結核ケースワーカーを務めた。

「おまえは誰や?」
「ここは、女の子がブラブラするところちがうで」
「家出してきたとちがうか? はよ帰ってあげ。親御さんが心配してはるで」
ケースワーカー? あんたみたいな小娘にわしらの苦労がわかってたまるか!」
「おまえは大学生やろ? レポート書きに来たとちがうんか。おれらは研究材料とちがうで」
「他人の世話もええけどな、はよ嫁にいけ!」
キリスト教? ほんまに神さんがおるんなら、なんでおれらはこんな目にあわんとあかんのや」

【『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美〈いりさ・あけみ〉(東方出版、1997年)】


 25歳の乙女に向けられた言葉は刺々(とげとげ)しかった。まだセクハラなんて言葉がなかった頃である。それでもドヤ街を歩き続け、労働者に声を掛け続けているうちに少しずつ反応が返ってくるようになった。そして彼らの優しい一面を知る。ある日の帰りのこと。駅に向かう彼女が両手に抱えていた荷物を一人の男性が持ってくれた。

 自分自身の存在がおびやかされているのになぜ他者にやさしくできるのだろう? 自分のお腹はペコペコなのになぜ他者の労をねぎらえるのだろう?
 私は自分自身と比較してみました。私だったら自分のことで精いっぱいでやつ当たりするのが関の山です。この時ほど他者に対してやさしくなりたいと願ったことはありません。
 ――これからはこの人たちから学んで、私自身、変わっていきたい。
 心底そう思いました。
 ――今までは高いところにいて労働者に変わることを求め続けてきたんだなあ。
 と反省しました。


 彼女は釜ヶ崎で苦しむ人々を目(ま)の当たりにしてから、食が喉を通らず、夜、眠りに就くことができなくなっていた。その症状がピタリと収まった。心が変わった瞬間に体も治っていた。

 入佐はとにかく心根がよい。クリスチャンに特有の妙な宣教意識もない。厳しい現実を柔らかな感受性で受け止め、彼女は学び続ける。

 ある男性から「一生の願いを聴いてほしい」と言われる。

「実は、あなたのお仕事のことです。すみません。入院した時、とても寂しい思いでした。友だちも少なく、家族もない。面会に来てくれる人もいない。もう自分はどうでもええわと思っていました。そんな時、遠いところから、あなたが面会に来てくれた。あんなうれしかったことはありませんでした。“よし、がんばろう”と思いました。あなたはそんな仕事をされているんですよ。ぼくのように寂しい思いをし、苦しんでいる者がこの釜ヶ崎にはいっぱいいます。ぼくもできればあなたのような仕事がしたいと思いますが、ぼくにはできません。ぼくの分までこの仕事をあなたのできる範囲でしてください。お願いします」


 この言葉で入佐の肚が決まった。彼女の決意を知った日本キリスト教医科連盟の医師が動き、「釜ヶ崎・入佐会」が立ち上げられ、300人の人々による献金で活動は続けられた。彼女はドヤ街を吹き抜ける風と化した。

 路上で寒さとひもじさをこらえながら、息をひきとる人もあります。年間、約300人の人たちが路上で死んでいくと聞いた時、どうしてそのような現状があるのか、皆目わかりませんでしたが、活動していくうちに、日雇い労働者のおかれている立場が少しずつわかってき、こんな現状を許してはならないと、怒りが強く湧いてきました。存在をかけて働いてきた人が人生を全うする時、誰からもみとられないで、コンクリートの上で言いたいことも言えないで死んでいくことはあまりにも悲しいことです。


 本書は福祉と労働問題が太いテーマとなっているが、そこだけには収まらない広がりがある。彼女は釜ヶ崎で【生きた】。その証が人々とのコミュニケーションとなって花開く。だが悲しいことにそれでも尚、釜ヶ崎の苛酷な現実は変わらなかった。

 私の知人も釜ヶ崎で炊き出しを行っている。フェイスブックの写真を見て驚いたのだが彼の顔つきは一変していた。まるで武者修行をしてきた男の風貌であった。福祉やボランティアは余力をもって援助する行為ではないのだろう。それは文字通り「戦い」なのだ。

 行政が行き届かないところで困窮者のために黙々と汗を流す人々がいる。だからきっと変わってゆく。

 奈路道程〈なろ・みちのり〉のイラストも実に素晴らしい。

捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生


『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
『聖(さとし)の青春』大崎善生
「女性は男性より将棋が弱い」

 ・捨てる覚悟

『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司
『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
『決断力』羽生善治
『フフフの歩』先崎学
『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学
・『赦す人大崎善生

必読書リスト その一

 心の片隅に貼りついてしまったシールのように、剥がそうとしてもなかなか剥がすことのできない一枚の写真がある。
 平成8年3月13日に発行された「週刊将棋」の13面という、あまり目立たない場所にひっそりとそのモノクロ写真は掲載された。
 ダイレクトに胸を衝く、衝撃的な写真だった。それを見た瞬間に私は確かに何かが、たとえば鋭利な硝子(ガラス)の破片が胸に突き刺さったような痛みを覚えた。
 一人のセーター姿の青年ががっくりと首を落として座りこんでいる。場所は東京将棋会館4階の廊下の片隅である。
 青年は膝を抱え腕の中に顔を埋めるようにして、へたりこんでいる。精も根も尽き果て、まるで魂を何ものかに奪われてしまったかのようにうなだれている。その日一日で、まるで大波に弄ばれる小船のようにくるくると変わっていった自分の運命への驚きを隠そうともせず、受け入れることも嚥下(えんか)することもできず、また涙さえ流すこともできずにただ茫然と座りこんでいる。
 その姿をカメラは冷静にとらえていた。
 写真は3月7日に行われた第18回奨励会三段リーグ最終日に写されたもので、被写体は中座真(ちゅうざまこと/現五段)である。

【『将棋の子』大崎善生〈おおさき・よしお〉(講談社、2001年講談社文庫、2003年)以下同】


『聖の青春』は一度挫折している。もう一度読まねばなるまい(講談社文庫版角川文庫版がある)。

 読みやすく流れるような文章、人と人との出会い、そしてどうしようもない運命。更に講談社文庫という共通点で毛利恒之著『月光の夏』と重なった。もしも「読書が苦手」という若者がいれば、この2冊を読んで感動にのた打ち回れと言っておく。

 ミステリアスな書き出しが巧い。冒頭から惹(ひ)き込まれる。種明かしをするようで恐縮だが画像を見つけたので紹介しよう。


 中座は稚内生まれだという。そして主役ともいうべき成田英二は夕張生まれだ。大崎は中学生の時に札幌の北海道将棋会館で次々と大人たちを打ち負かす小学5年生の天才少年を目撃した。それが成田であった。

 10年間にわたり将棋世界編集長を務め、そして私は退職の決心を固めた。
 どうしても書かなければならないことがあったからである。
 それは、将棋棋士を夢見てそして志半ばで去っていった奨励会退会者たちの物語である。栄光のなかにある多くの棋士たちを見てきたのと同時に、それと正反対の立場でただの一度も注目を浴びることなく将棋界を去っていった大勢の若者たちも見てきた。
 桜が散り、やがて花びらが歩道を埋め尽くし、いつの間にかその花びらさえもどこかに消えていってしまうように、彼らはもう将棋界にはいない。
 彼らの夢はどうしたのだろうか。挫折した夢とうまく折り合って、いきいきと生きているのだろうか。
 私の胸には彼らの残した夢の破片が突き刺さっている。それは時としてちくちくとした痛みとともに、私の心に鮮明に蘇ってくる。あるいは自分自身も彼らの残していった無数の夢の破片とともに生きているのかもしれない。
 その痛みが胸に蘇るたびに私は抑えることのできない衝動に駆られた。
 どうしても、彼らのことを書かなければならない。歩道の上に散り、いつの間にか跡形もなく消えてしまった一枚一枚の花びらたちのことを。
 いや、もっと正直に言おう。
 どうしても書いてみたいのだ。


 捨てる覚悟が傑作を生んだ。それ自体が一つのドラマである。しかも敗れ去って行った者たちの鎮魂歌にとどまっていない。将棋という物差しで測れば彼らは敗北者だが、人としての勝ち負けはまた別なのだ。奨励会の門をくぐった者たちは一切を犠牲にしてただ将棋に打ち込む。そこに掛けたものが大きければ大きいほど去ってゆく時の傷もまた大きくなる。だが将棋だけが人生の全てではない。手負いの虎たちは新たな道を歩み始める。

 私は『聖(さとし)の青春』というタイトルが好きになれなかった。そして『将棋の子』にも同様の思いを抱いた。安直な印象を拭えなかった。ところが330ページ(講談社文庫版)でその意味がわかった時、活字が涙で歪んだ。札幌は私の故郷(ふるさと)である。成田と大崎の交情が望郷の念を掻き立てた。

 それは零落の奇跡でもなければ落魄の人生でもない。若き日に将棋で灯(とも)した松明(たいまつ)の火を決して心で消さなかった者たちの勇気のドラマだ。近頃、才能否定の研究(『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァンなど)が賑々(にぎにぎ)しいが、選ばれし者たちの厳しい世界を知ると、ほんの一握りの人しか登れない高みが確かにあると思わざるを得ない。



先崎学八段(当時)の書評『将棋の子』 - 将棋ペンクラブログ

人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女/『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子


 ・人生の逆境を跳ね返し、泣きながら全力疾走する乙女
 ・バングラデシュでは、みんな、生きるために、生きていた

真っ黒な顔の微笑み
・『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』山口絵理子
・『輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ』山口絵理子
・『Third Way(サードウェイ) 第3の道のつくり方』山口絵理子
・『自分思考』山口絵理子
『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『七帝柔道記』増田俊也

必読書リスト その一

 山口絵理子は「マザー・ハウス」というバッグメーカーの社長である。バングラデシュのジュート(麻)を使用したバッグは、すべて現地工場で製造されている。

 小学校に上がって直ぐいじめに遭う。中学では非行少女に。そして高校時代は柔道選手として埼玉県で優勝。一念発起をして偏差値40の工業高校から慶應大学に進学。在学中に米州開発銀行で働く機会を得て念願の夢がかなった。だがそこは、貧しい国の現場からあまりにも懸け離れていた。ある日のこと、山口はインターネットで検索した。「アジア 最貧国」と。出てきたのは「バングラデシュ」という国名だった。1週間後、山口はバングラデシュ行きの航空券を手配した。

 山口絵理子は逆境に膝を屈することがない。だが、山口はよく泣く。そして泣きながら全力疾走するのだ。

 彼女の生きざまは高校時代の柔道によく現れている。埼玉県内の強豪である埼玉栄高校を打倒するために、男子の強豪である工業高校へ山口は入学する。女子柔道部がないにもかかわらずだ。監督はバルセロナ五輪の代表を古賀稔彦(としひこ)と争ったこともある元全日本チャンピオンだ――

 そんな不安を振り切るために練習量を多くしていった。
 私は、高校の朝練の前に自宅の前にある公園で一人練習をはじめた。
 そして朝と午後の部活が終わってからは学校の1階から5階までを逆立ちで上がるというトレーニングを5往復毎日実践した。
 それから電車で30分かけて町の道場に直行し、また2時間練習をし、それからまた家に帰り一人打ち込み、筋トレをする、三食の前にはいつもプロテインという、今思えばゾッとするような日々を365日、休みなく続けた。
 私の部屋は、そこら中「目指せ、日本一!」「打倒 埼玉栄!」などと書かれた汚い壁紙でいっぱいだった。
 そして、毎日つけている柔道日記は、悔し涙でどのページもはっきりと見えなくなっていた。それでも、勝つことはできなかった。
 夏の合宿があった。猛暑の中、私はいつものとおり稽古をした。
 監督が久しぶりに柔道着になって私の名前を呼んだ。
「やるぞ!」
 私はこの監督との稽古で、通算10回も絞め落とされたのだった。「絞め落とされる」とは、簡単に言えば頚動脈を絞められて、意識を失う状態が10回もあったということである。
 私はその稽古中、唇は真っ青になり、青あざのある顔面は鼻水と涙でぐちゃぐちゃになり、どうしようもなくこの場にいるのが怖く耐えられなくなり、脱走を試みた。
 自分でもどういった精神状態だったかは正確に覚えていないが、私は柔道着のまま全力で走った。
「もうやだ!」
 走る、走る。
「家に帰るんだ! もう柔道なんてやりたくない!」
 後ろから、巨漢の先輩が追いかけてくる。
 担ぎあげられた。監督の前に連れて行かれ、「てめぇ! 逃げ出す奴がいるか!」
 と思いっきり殴られた。
 私はプッチンと切れ、思いっきり監督の腹をパンチした。監督は思いっきり私をまた殴った。私は全力で殴り返した。
 そんな死闘の末、合宿は終わり、私はもう「やめたい」と本気で思った。人の何倍も練習しているのに、全然勝てない。
 練習でこんな目にあって、そして周りからは白い目で見られ、心も体もボロボロだった。
 私は泣きながら、部屋に飾ってある「目指せ、日本一!」の壁紙を破り捨て、柔道着を段ボール箱にしまい、柔道をやめる決心をした。

【『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子(講談社、2007年講談社+α文庫、2015年)以下同】


 私も運動部だったので、彼女の練習量がどれほど凄まじいかがよく理解できる。吐くゲロすら残っていない状況だ。育ち盛りとはいえ、これほどの練習をしてしまえば、今尚深刻なダメージが残っていることだろう。監督を「殴り返した」ことから、ぎりぎりまで追い詰められた彼女の様子が見てとれる。

 高校生の山口は泣き明かし、泣き通す――

 1週間くらい部屋に閉じこもったままで、ずっと泣いていた。
 7冊以上たまった柔道日記を見た。そこには、
「絶対にあきらめない。絶対にあきらめない。あきらめたらそこで何かも終わってしまうから」
 と書かれていた。
 袖がちぎれて半そで状態になっているボロボロのミズノの柔道着を、段ボール箱から出してみた。
 柔道着の裏には、秘密で私がマジックで書いた「必勝」という汚い字が見える。その柔道着を見て、今までの辛い猛練習が頭いっぱいに広がった。
 雑巾みたいに、毎日投げられ続けた日々。それでも私は、いつも立ち上がって向かっていった。
 投げられても、投げられても、「来い!」って言って私は巨漢に立ち向かっていったはず。
 次の日、朝練に向かった。
 また地獄のような練習がはじまった。
 ずっと練習に参加していなかった私を白い目で見る先輩たち。
 練習ではいじめられた。壁にわざとたたきつけられ、引きずり回され、また絞め落とされ、私は吐いた。耳はつぶれてしまったが、それでも頭にぐるぐるテーピングを巻きつけ練習を続けた。
 ある日、膝の靭帯(じんたい)を3本も切断し歩けなくなった。
 病院に行ったらお医者さんが言った。
「手術をしないと30歳になったとき、確実に歩けなくなる」


 勝てなかった山口だったが、3年生の時に埼玉県で優勝。全国大会で7位に輝いた。もう少し手を伸ばせばオリンピックが見える位置まで上り詰めていた。しかし、柔道をやり切った彼女は別の道を選ぶ。

 そんじょそこいらの成功物語を自慢気に語るビジネス書ではない。心清らかな乙女の見事な半生記だ。10代、20代の女性は必読のこと。30過ぎの男どもは、本書を読んで己の姿を恥じよ。



マザーハウス 山口絵理子代表 −志をかたちに−
株式会社マザーハウス 山口絵理子氏 代表兼デザイナー - 経営者・起業家インタビュー第74回 | Goodfind
第81回 株式会社マザーハウス 山口絵理子 | 起業・会社設立ならドリームゲート