古本屋の覚え書き

「ただ独り、不確かな道を歩め」エリアス・カネッティ

蝶のように舞う思考の軌跡/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一


 ・蝶のように舞う思考の軌跡
 ・体から悲鳴が聞こえてくる
 ・所有のパラドクス
 ・身体が憶えた智恵や想像力
 ・パニック・ボディ
 ・セックスとは交感の出来事

『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『日本人の身体』安田登
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス

必読書リスト その二

 これは随分と前に読んだ本。ちょっと気になる箇所があるので書き残しておこう。

 竹内敏晴などに興味がある人は必読。石川九楊養老孟司のバランス感覚が好きな方にもお薦め。写真家とのコラボレーションである最新作は文体が気になり、読み終えることができなかったことを付け加えておく。

 著者は臨床心理学の提唱者で、身体(しんたい)についての考察は並々ならぬものがある。

 確かに産業革命による分業は、人々から“太陽と共に働き、月星と語る”生活を奪ったといってよいだろう。そもそも機械化は、人間の労力を削減するところに眼目があった。現代の労基法の考え方では、仕事=質量×距離といった物理的なものではなくして、時間の切り売りということになっている。その結果、我々は身体能力をフルに発揮する手立てを失った。幼少の頃からペットボトルをラッパのようにがぶ飲みしている子供が目につき、現代人を悩ませている問題の一つに「肥満」が挙げられることに異論を挟む人は少ないであろう。

 何を隠そう、この私もその一人である。上京してからというもの、胴回りは成長するだけ成長し、76cmだったウエストが現在では93cmという飛躍を示している。せめてこの半分だけでも身長が伸びて欲しかった。それも出来ることならば脚を……。それにしても、給料が上がらないのに肥え続けるというのは不思議である。“出る杭は打たれる”という格言があるが、“出る腹はくたびれる”と言う他ない。

 で、私が気になった箇所というのは以下の部分である。

 たとえば風呂に入ったり、シャワーを浴びたりするのが気持ちいいのは、湯、あるいは冷水といった温度差のある液体に身体を浸すことによって、皮膚感覚が強烈に活性化されるからだ。ふだん視覚的には近づきえない自分の背中の輪郭が、この背中の皮膚感覚の覚醒によってひじょうにくっきりしてくるわけだ。これは、幼児があぐらをかいている父親の膝の上に座りにくる、あるいは押入れなど狭苦しいところに入りたがるのととてもよく似ている。このような視角から考えると、スポーツや飲酒、喫煙についても同様のことが言える。激しい運動をすると、汗の気化熱で肌が収縮して身体表面の緊張が高まるし、また筋肉が凝って、ふだんはぼんやりしている身体の物質的な存在感が増す。アルコールを摂取すれば、血液が皮膚の表面に押し寄せてくるような感覚があるし、煙草や香辛料を口にしたときにも局部的に同様の効果が発生する。他人との身体の接触やマッサージについても同じことが言えそうだ。

【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】


 これは凄い指摘だ。私は読んだ瞬間、目の前がパッと開ける思いがしたものだ。鷲田が言うには「身体というのは部分的にしか見ることができない。だから、我々が“自分の身体”という時、それは想像された〈像〉(イメージ)でしかありえない」とのこと。

 大いに首肯できる。例えば日常生活では全く意識されない歯なども、虫歯による痛みがあれば自覚される。それは他の全てを忘れさせてくれるほどの強烈さである。

 つまりだ。上記の文章で鷲田が言っているのは、自分の身体を心地よく実感できる場合に人は快感を覚えるということなのだ。

 そう考えると様々なことに気がつくのである。例えば若者に人気があるオートバイ、スキー、サーフィン、ジェットコースター、バンジージャンプ等々。これらは、スピードを出すことにより風を受けて、自分の身体を実感することができるのが人気の理由かも。

 お茶やコーヒー、あるいはパイプ煙草、ワインなどの嗜好品は嗅覚を実感させる。日焼けや化粧なども肌を実感するためであろう。指輪、イヤリング、ネックレスなどの装飾品も、その部位を意識するものであろう。まあ、呑み屋に入るたびに指輪を外す律儀な男性もいるらしいが……。

 結局のところ、五感に刺激を受けることによって“失われた身体能力”への郷愁のようなものが掻き立てられているのかも知れない。余りにも強い刺激を求めるようになると SMクラブ覚醒剤に手を出すことになるので要注意。まあ、人間は見境のつかないところがあるから、自虐的なまでに刺激を求めてしまうのだろう。自分の身体を苛め抜くという点では、ストイックな宗教の修行と規を一にするのが何とも不思議。

 今までは只単に心地いい・気持ちいいぐらいにしか思ってなかった事柄が、実は自分を感じることによって得られる感覚だということが、実に斬新であった。とはいうものの、シェイプアップは一向に進まない。

驚天動地、波乱万丈の人生/『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール


『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット

 ・驚天動地、波乱万丈の人生
 ・ティム・ゲナールは3歳で母親から捨てられた
 ・幼児は親の愛情を期待せずにはいられない

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 凄まじい人生である。ティム・ゲナールは1958年生まれだから今年で52歳になる。彼の思春期までをスケッチしてみよう。

 3歳の時、母親に捨てられる。電信柱に縛りつけて、振り返ることもなく母親は去って行った。4歳になり、元米軍特殊部隊にいた父親と継母(ままはは)から日常的な虐待を受ける。最後は両足を粉砕骨折し、2年間の入院を余儀なくされる。8歳で精神病院に入れられる。9歳で養子になるが、ここでも酷(ひど)い仕打ちを受ける。二度にわたって自殺未遂。11歳で少年院に入り、暴力に目覚める。その後、脱走。12歳の時、初老の紳士にレイプされる。13歳でギャングの仲間入りをする。14歳で男娼(だんしょう)に。15歳で再びホームレス。16歳になり石材加工職人の職業適性証を取得。フランスで最年少の資格取得者となる。この年にボクシングを始め、国内チャンピオンの座を射止めた。

 単なるサクセスストーリーではない。生まれてから一度も愛されることのなかった少年が、もがきにもがきながら遂に人間を信じられるようになるまでが綴られている。陰惨極まりない人生でありながらも、それを笑い飛ばすようなユーモアがそこここに顔を覗(のぞ)かせている。

 ティム・ゲナールが3歳の時に継母と継子(ままこ)が新しい家族となる。彼はただ父親に抱いてもらうことを夢見ていたが、父親は虐待をもって応えた。継母までがこれに加勢した──

 それから、父はぼくの服をつかんで袋みたいに背負い上げ、地下室の入り口まで運んでいき、ドアを開けてそこから下へ放り投げた。
「このガキ、首の骨でも折っちまえ! でなきゃ……」
 最後までは聞き取れなかった。ぼくは暗闇めがけて飛行機みたいに空中を飛び、ぐしゃりと着地した。

 数秒後、いや数分後だろうか? ぼんやりした頭の中に継母のどなり声がこだまして、ぼくは無の世界から引き戻された。
「上がってくるんだよ! ほら、早く!」
 そんなこと言われたって無理だ。動けないんだから……。落ちたときに顎と鼻を砕いていたし、足はこん棒で殴られたときにもう折れていた。すると継母が下りてきて、父に代わってベルトの鞭でぼくを叩いた。ピシッ、ピシッ!
「ほら、動け! 上がりな! 上がるんだよ!」
 ぼくは力を振り絞り、階段を一段ずつナメクジみたいに這い上がった。背中にはなおもピシッ、ピシッとベルトの鞭が飛んでくる。足にはまったく感覚がなかった。
 朦朧としながらやっと階段の上まで這い上がると、父が仁王立ちで待っていて、また嵐のように襲いかかってきた。これでもか、これでもかとぼくを殴る。右側からの一発で目から火が出た。次いで内出血で膨れ上がっていた左側にも一発。さらにまた右から強烈な一撃が来て、耳がガリッと音を立ててつぶれた。目の前が真っ暗になった。
 あとは何も覚えていない。

 その日はぼくの誕生日だった。ぼくは五つになったのだ。

【『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール:橘明美訳(ソフトバンク クリエイティブ、2005年)以下同】


 ティム・ゲナールは鼻の骨を27回折っているが、23回はボクシングで、4回は父親にやられたものだった。多分、まだ幼くて骨が軟らかかったから死なずに済んだのだろう。父親はその後、我が子の手を焼き、額にナイフを突き立てた。ティムが歩けるようになるまで2年を要した。

 我々が生きる世界は暴力に覆われている。立場の弱い者には威張り散らし、車に乗ればけたたましいクラクションを鳴らし、自衛目的の軍隊を黙認し、アメリカの軍事行動に税金が使われても平然としている。我々は確実に暴力を容認している。その容認された暴力が圧縮されて、世界のあちこちで噴火しているのだ。

 彼の父親を殺したところで我々の世界は変わらない。とは思うものの、私の心の中に殺意の嵐が駆け巡る。

 ティム・ゲナールは10代で既にチンピラグループのボスになっていた。そして18歳の時に障害児と共同生活をするキリスト教ボランティアと巡り合う。こうして彼の人生に初めてうっすらと光が射(さ)し込んだ。トマ神父、そして子供達との出会いが彼を変えたのだ。

 ある晩のこと、みんなのトイレのために何度も起こされて、ぼくは頭にきた。
〈もしまた誰か起こしやがったら、階段の上から放り投げてやるから!〉
 はいそうですか、とばかりに声がかかった。
 ぼくは起き上がり、ぼくを呼んだ女の子のベッドへ行き、腕に抱えた。投げようと思ったから、いつもよりしっかり抱えた。女の子は不思議そうな顔をした。階段のところまで行って、さあ投げてやろうとしたら、その子が不自由な腕でぼくのくびにぎゅっとしがみついてきた。
 ぼくははっとした。父も母もぼくを抱きしめてくれなかったのに、この子はぼくを抱きしめてくれているのだと!
 ぼくは我に返り、その子をトイレに連れていった。自分のベッドに戻ったときには頭が割れるように痛かった。ぼくは怒りが溜まるとそれを暴力として吐き出さずにはいられない。その怒りが頭からあふれ出さんばかりになっていた。本当に危なかった。でも、ぎりぎりのところであの子が助けてくれたのだ。


 本書で描かれているのは24歳までである。このまま映画化できそうなほどの破天荒な人生だ。結婚前に世界各地を旅して回っている。ティム・ゲナールはローマの駅で立ちすくんでいる老婦人に声を掛け、案内を申し出る。この老婦人が何とマザー・テレサその人であった。あちこちに同行した彼はマザー・テレサを知らなかった(笑)。

 不信に取りつかれた少年が、信仰と障害児によって生の喜びを知った。愛情を知った彼は、自分の両親を赦(ゆる)した。ティム・ゲナールは本物の自由を手に入れたのだ。



社会は常に承認を求める/『「認められたい」の正体 承認不安の時代』山竹伸二

21世紀になっても存在する奴隷/『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス


『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治

 ・21世紀になっても存在する奴隷

『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

 強い者が弱い者を襲い、殴り、強姦し、喉を掻き切り、火を放ち、奴隷にしている――これが我々の棲む世界の現実であった。アフリカ大陸最大の国スーダンでは21世紀になっても尚、奴隷にされている人々が存在する。2006年の主要援助国は米、英、ノルウェー、オランダ、カナダとなっており、日本も有償・無償の資金協力は1000億円の実績がある(2006年現在)。つまり我々はスーダンと関わりがあるのだ。

 メンデ・ナーゼルが住んでいたヌバ族の村が民兵に襲撃され、彼女は12歳で奴隷にさせられた。まだ初潮も訪れていない少女が当たり前のように強姦される。メンデよりも幼い子供達も犯された。何をされたのかすら理解できていない少女達の股間は血にまみれていた。陰部をナイフで切り裂いてから挿入された少女もいた。

 意外と知られていないが北アフリカイスラム圏である。同じアッラーの神を信じていながら、相手が黒人という理由だけでアラブ系の連中は平然とナイフで喉笛を切り裂いているのだ。私でなくても、アッラーの無力さを呪いたくなることだろう。

 汚(けが)れを知らないメンデの心が、無惨な情況と鮮やかなコントラストを描いて悲惨の度合いを深める。以下は村が襲撃された直後に、メンデ達がトラックで首都ハルツームに向かっている時の様子である――

 数時間ほど眠っただろうか。車体の大きな揺れで飛び起きると、あたりは薄暗くなっていた。目の覚めるような美しい夜景が見えた。はるか前方に、色とりどりの無数の光がきらめいている。うごめいている光もあれば、またたいている光もある。こんな夜景を見るのは初めてだった。
「ほら! 見て!」わたしはほかの4人を揺り起こした。「月も出ていないのに、どうしてあんなにきらきら光っているのかしら」
 ヌバ山地には電気がなかったので、太陽か月か炎が発する光しか見たことがなかったのだ。

【『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス:真喜志順子〈まきし・よりこ〉訳(ソニー・マガジンズ、2004年/ヴィレッジブックス、2006年)以下同】

 

「この町は、人間が住むところなのかしら、それとも車が住むところ?」アシュクアナがつぶやいた。あまりにも車が多いので、だれもその問いに答えられなかった。
「車はどこに住んでるの?」わたしは答えた。「車を入れなきゃならないから、あんなに大きいんだわ、きっと」
「小さな車は、大きな車から生まれるんじゃないかしら。だから、車がこんなにたくさんあるのよ」アシュクアナが言った。
 そのとき、若者が乗ったバイクが車列のあいだをすり抜けていった。
「見て! 見て!」わたしはバイクを指差して叫んだ。「あの車は小さいから、きっと今日生まれたばかりよ」
 生まれてからずっとヌバ山地で暮してきたわたしたちにとって、ハルツームはまさに別世界だった。


 奴隷にされつつある中での微笑ましいやり取り。何の罪もない健気(けなげ)少女達が、健気に生きることも許されない世界。アラブ系の金持ちが家事や育児を押しつける目的で、親と離れ離れになることを余儀なくされた子供達は、まだ自分達の運命を知る由もなかった。

 アフリカの豊かな精神性を思う。人類発祥の大地アフリカは、人間が最も長く生きてきた場所である。アフリカの人々が好戦的であったならば、人類はとっくに滅んでいたことだろう。悠久の歴史を支えているのは友好関係に他ならない。そのアフリカを侵略したのは欧米諸国であった。古来、キリスト教世界における人間とは、神を信じる理性を持つ者に限られた。つまり、自分達の神を信じない人々は人間ではないことを意味している。だからヨーロッパの連中は平然と侵略する。神の僕(しもべ)として「神の怒り」を体現するのだ。

 世界を混乱の極みに追い立てているのは、間違いなくユダヤ教から派生したキリスト教イスラム教である。なかんずくキリスト教の罪は重い。世界に対して物申す識者は、キリスト教を徹底的に批判するべきだ。短気な神に率いられた欧米が、世界を蹂躙(じゅうりん)し続けてきた事実から目を逸(そ)らしてはいけない。

「なかに入りなさい、イエビト」ラハブ(女主人)が言った。“イエビト”というのは、アラビア語で「名前をつける価値もない少女」という意味だ。わたしはショックだった。こんなふうに呼ばれるのは生まれて初めてだった。


 奴隷となったメンデは子供達からも動物扱いされるようになる。そして女主人の暴力はエスカレートしていった――

(※客の子供に縄跳びのロープで転ばされ、ポットのお茶を全身に浴びる。子供達は嘲り笑った)
「おまえの顔には目がついてないの、イエビト! 目がついてないのかって聞いてるの!」なわとびのロープをつかんで、わたしをひっぱたいた。最初のひと振りが頭を直撃し、わたしは両手で顔を覆い隠した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」わたしは声を振り絞った。
 一瞬、ラハブが呼吸を整えるために手を休めると、女の客が叫んだ。
「もっとつづけて! 打って打って、打ちまくりなさいよ! この子を懲(こ)らしめるにはそれしかないんだから。痛い目に遭えば、二度とやらないようになるわ」
 わたしは背中を丸めて縮こまった。ラハブはわたしの背後にまわり、さらに力を込めてロープを打ち下ろした。わたしが叩かれるたびに、女の客の歓声に混じって、男たちの笑い声が聞こえた。


 メンデは親からも殴られたことがなかった。怒りのあまり、キーを打つ私の指が止まる。この女主人と客は何度死刑になったとしても罪を償うことはできない。火あぶりにしたところで、こいつらの性根が改まることはないだろう。

 10年後、メンデは女主人の姉の家へ行くよう命じられる。そこはイギリスだった。亭主(マフムード・アル・コロンキ)は何と大使館で働く人物だった。つまり、スーダンにおける奴隷の存在は国家公認も同然ということだ。待遇は格段によくなったものの、奴隷であることには変わりがなかった。

 メンデは意を決して脱出する。様々な人々の応援もあって、遂にメンデ自由を獲得したのは2000年9月11日のことであった。マスコミも援護射撃を惜しまなかった。見知らぬ人が養子を申し入れた。ヨーロッパ各地から激励と称賛の手紙が寄せられた。スペイン人種差別反対連合(CECRA)は国際人権賞を授与した。最後の最後でやっと重い腰を上げたのはイギリス政府だった。

 だが、失った時間は二度と戻らない。そして今も尚、奴隷にされている子供達が存在するのだ。我々の世界は何と無惨なのだろう。いっそのこと人類はさっさと滅んだ方がいいのかもしれない。



カマラリたちの新たな人生(ネパール)/プラン・ジャパン

43年間に及んだサバイバル/『洞窟オジさん』加村一馬


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 ・43年間に及んだサバイバル

・『失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語』マリーナ・チャップマン
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

必読書リスト その二

 なだらかな斜面を、持ってきたスコップを杖(つえ)代わりに登った。岩肌のところは四つんばいになってかけ登る。足場が悪く、小石が転がり落ちる。シロが前になり後ろになっておれを守ってくれる。
「シロ、大丈夫か。頑張れっ、頑張れっ! もう少しだ!」
 家を飛び出してからほぼ1週間、ほとんど寝ないで歩いてきた。13歳のおれには体力はもう残っていなかった。ただ、気力で岩肌を登るだけだ。シロに声をかけ続けたのは自分自身への励ましだったのかもしれない……。
(中略)
 加村一馬さん、57歳。昭和21年8月31日、群馬県の大間々町で生まれた。8人きょうだいの4男坊だった。両親のたび重なる折檻に耐え切れず、13歳で家出をし、後を追ってきた飼い犬のシロと足尾鉱山で獣や山菜を採って空腹を満たしながら生きる生活を選んだ。以来43年間、栃木、新潟、福島、群馬、山梨の山中などを転々としてきた。人里離れた山の洞窟で、ときには川っぺりで、ときには町でホームレスをしながら人とかかわることを避けて生き抜いてきた。子供のころの虐待やいじめ体験がトラウマとなっていた。後年、人の情けに触れることはあっても、結局は43年間人間社会から逃げ出すことしかできなかった。

【『洞窟オジさん』加村一馬〈かむら・かずま〉(小学館、2004年『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス驚愕の全サバイバルを語る』改題/小学館文庫、2015年)】


 昔は折檻(せっかん)と言って親の虐待が罷(まか)り通っていた。雪が積もる外へ裸で投げ出されたり、物置に閉じ込められたりということが珍しくなかった。物置の中から外を覗いていた子供が慌てて扉を占めたために首を挟んで死亡した事故もあった。江戸時代の日本では子供が大切にされた。野放し状態の子供を避けるため往来では馬から人が降りたという。戦争や工業化の影響か。巨大な集団は多くの人々に様々なストレスを与える。

 加村はそれでも尚生きた。そして生き延びた。彼の命を救ってくれたシロは間もなく死んだ。43年間に及んだサバイバルを可能にしたのは彼に生きる知恵があったからだ。私なら10日間ほどで死んでいるだろう。火を熾(おこ)すこともできなければ、山菜の見分け方も動物の捌(さば)き方も知らないのだから。

 ある時、山の中で見知らぬ夫婦から声を掛けられる。おばさんが「黒い三角の物体」をくれた。生まれて初めて見たオニギリだった。親切なおじさんとおばさんは加村を家に招き、風呂に入れ、ご飯を食べさせた。人の情に触れ加村は涙を流し続けた。おじさんは「ずっといていいんだよ」と言った。ところが数日後、加村は去ることにした。この辺りの心の揺れはナット・ターナーや鹿野武一〈かの・ぶいち〉と通じている(ナット・ターナーと鹿野武一の共通点)。論理で探れば複雑であるが、情緒で読み解けば腑に落ちる。目の前の幸せを拒絶したところに加村の自由があったのだ。

 サバイバルは適応能力に左右される。加村は周囲のちょっとした情報から生き延びるヒントを得た。文字を書くことすらできなかった彼が商売をするまでになる。

 小学校の課程にサバイバルを設けてはどうか。家庭科・図工・理科・社会の要素も含まれている。何があっても一人で生きることのできる力が備われば、国力も大いに上がることだろう。併せて、いじめや虐待に遭遇した時の作法も教えるべきだろう。生きることを学ぶ。生きる能力を磨く。そこに生きる喜びが生まれるはずだ。