書評:詩歌
人を殺(あや)めた男達が、牢獄で自分の死と向き合う。罪を顧(かえり)み、残された生をひたと見つめ、更にもう一段高い視点から俳句は生まれる。 死を自覚すると、生の色彩はガラリと変わる。その時、彼等の胸の内で悔恨の風が吹き抜けたことだろう。そう…
東京は梅雨が明けた。夾竹桃(きょうちくとう)が色めき、ひまわりがスッと背丈を伸ばしている。灼熱の太陽と我慢比べをするみたいに蝉が鳴き始めた。 私はどんなに暑くともエアコンを使わない。「夏に負けてなるものか」と意地を張り、夏のエネルギーを体内…
石垣りんの言葉には目方がある。それは“生活の重み”であり、日常の瑣事(さじ)の底を流れる“生の苦悩”であろう。 女達に連綿と受け継がれる営みを、石垣りんは謳う―― 私の前にある鍋とお釜と燃える火と それはながい間 私たち女のまえに いつも置かれてあっ…
1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」に合わせて、日航財団が世界の子供達から「ハイク」を募集。その入選作を編んだのが本書。狙いは素晴らしいのだが、本の作りがイマイチ。財団という性質上、報告的な要素を盛り込んでいて、中途半端に子供達…
これはドラマでも引用された詩である。何度読んでも涙が止まらなかった覚えがある。親にどんな事情があったかは知らぬが、子供にこんな思いをさせるのは許されないことだ。 がっこうから うちへかえったら だれもおれへんねん あたらしいおとうちゃんも ぼく…
大岡信の「折々のうた」は朝日新聞の朝刊一面で、1979年1月25日から2007年3月31日まで連載された。引用は2行でコラムは180字。葉書に収まりそうなわずかな字数で、多くの読者を句歌の世界へ誘(いざな)った。 年をとる それはおのれの青春を 歳月の中で組織…
雲取山の山頂付近に雪が見え始めた。丹沢も雪化粧を始めた。冬は嫌いだが、雪は大好きだ。上京してからというもの、雪が舞うと胸が踊る。降る雪と私の瞳の間に故郷(ふるさと)の北海道が立ち現れるのだ。天からの贈り物が、私の奥深くにある感情を刺激して…
奇しくも冬至の日に読んだ。私は道産子なのだが冬が嫌いだ。それは上京してからのことだ。東京には雪が積もらない。それだけで北海道の人々は、東京が南国だと思い込んでいる節がある。 上京したのは21年前の2月14日だった。千歳空港は猛吹雪に覆われ、飛行…
1998年に初めてパソコンを購入し、タイピングの練習目的で入力したファイルを見つけた。何と、14万字も入力していたよ。恐るべき根気だ。ま、若かったからね。また、テキストそのものに魅力があったことは言うまでもない。 『サラダ記念日』を発表した当時、…
「愛読書は石垣りんの詩集です」と語る女性がいれば、それだけで私はいっぺんに好きになってしまうことだろう。石垣りんの詩は、生活という大地にしっかりと足を下ろし、足の指が大地を鷲づかみにしているような力感に満ちている。そして、時にはこんな素敵…
歌占 死んだと思われて三日目に蘇った男は 白髪の老人になって言った 俺は地獄を見てきたのだと そして誰にも分からない言葉で語り始めた それは死人の言葉のように頼りなく 蓮の葉の露を幽(かす)かに動かしただけだが 言っているのはどうやらあの世のこと…
画家・香月泰男〈かづき・やすお〉が“余技”で作ったブリキ作品の数々。ところどころに谷川俊太郎の詩が添えられていて、何とも優しい心地になってくる。 これは傑作である。どこにでも転がっている材料で、誰にも真似のできない世界をつくり上げてみせた。ブ…
真っ当な言葉に込められた瑞々しい生命力 力のこもった詩のオムニバス。つるはしを振るうように言葉が突き刺さってくる。経済の太陽に先駆けて、確かな黎明を告げる逞しい声がここにはある。以前、紹介した「便所掃除」も収められている。 いつの日から か …
「女湯」石垣りん 一九五八年元旦の午前0時 ほかほかといちめんに湯煙りをあげている公衆浴場は ぎっしりと芋を洗う盛況。 脂(あぶら)と垢(あか)で茶ににごり 毛などからむ藻(も)のようなものがただよう 湯舟の湯 を盛り上げ、あふれさせる はいってい…
借りた金を返さなかった場合に失うものは何だろう? 信用・立場・友情・面子(めんつ)などなど。先方は貸した金額を失う。金額の多寡にもよるだろうが、こういうのは食い物の恨みに似てスッキリしないところに特徴がある。 景気が悪くって踏んだり蹴ったり…
14年前にこの本と出会った。今再び読み返し、所感を記そうとするとペンが中々定まらない。本の中に登場する数多(あまた)の『子どもたち』が、私の安直な言葉を許さないからだ。文章を飾ろうとすると「嘘をつくな!」と少年の叫び声がし、好い加減な気持ち…