古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

本当のスピードは見えない/『「勝負強い人間」になる52ヶ条 20年間勝ち続けた雀鬼がつかんだ、勝つための哲学』桜井章一

 桜井章一は感性の人だ。ただし並みの感性ではない。麻雀の世界で20年間という長きに渡って敗れたことのない感性なのだ。これだけの期間において桜井の感性は磨き続けられてきたはずだ。そして、「勝つことに飽きた」桜井は第一線を退いた。


 真理というものが存在するなら、どんな世界にだってそれはあるに違いない。真理と真実とは異なる。真理は「理」であるがゆえに普遍性がある。何らかの勝負を迫られる世界であれば尚更だ。


 雀鬼・桜井は麻雀のプレイにおいてスピードを追求する。「躊躇(ちゅうちょ)するな、逡巡するな、考えるな、感じろ」と門下生に説く。「考えると迷いが生じる」というのだ。

 本当の「ゆっくり」というのは、スピードを出してスピードが消えた状態のことだ。ただノロノロしているのとは違う。
 スピードを出して、そのスピードが見えているうちはまだダメだ。本当のスピードとは、見えないものなのだ。たとえば、光は1秒間に地球を7周り半するというが、光のスピードは見えない。光というのは、まるで止まっているか、ゆっくりしているように見える。
 これが本当のスピードだ。


【『「勝負強い人間」になる52ヶ条 20年間勝ち続けた雀鬼がつかんだ、勝つための哲学』桜井章一〈さくらい・しょういち〉(三笠書房、2004年『20年間無敗の雀鬼が明かす「勝負哲学」』改題/知的生きかた文庫、2006年)】


 川上哲治はその絶頂期に「ボールが止まって見えた」と語った。「止まっていたら、ベースにまで来ねーだろーよ」なんて屁理屈を言ってはいけない。神は細部に宿り、永遠は瞬間に凝縮されているのだ。


 確かに空を飛んでいる飛行機はスピードを感じさせない。もっとわかりやすいのはコマだ。フル回転をしているにも関わらず整然と直立しているようにしか見えない。


 アインシュタイン相対性理論によれば、光のスピードで走る乗り物に乗っている人は止まって見えるという。その上、彼の周囲にある物は小さくなっている。スピードは時空を変質させる。ただし、これは例えであって実際は見えないことだろう。だって、光の速度で動いている以上、観測者が色や形を判別することは不可能だろう。視覚情報はその全てが「光の反射」なのだ。

 光は年をとらない。「新しい光」はあっても、「古い光」は存在しないのだ。我々が光を心地よく感じる理由もこのあたりにあるのかもしれない。


 天台智ギは観念観法(瞑想)を「止観」(しかん)と説いた。心を静め、精神の深層を探り、意識が漂う様を「止」と表現したように思う。「一」に「止(とど)まる」と書いて「正」と言うが如し。


 長生きすることが永遠に近づくわけではない。たとえ短くとも、光のスピードで生きたかどうかが問われるのだ。真の永遠は万、億、兆……の彼方にあるものではなく、1と0の間に存在するのだろう。