広中平祐といえばフィールズ賞である。彼の受賞によって、私はフィールズ賞なるものの存在を知ったくらいだ。ノーベル賞って数学がなかったんだね。創始者のノーベルと某数学者の不仲が影響しているとも囁かれている。
功成り名を遂げたからといって、道徳を説く視覚があるかどうかは別であろう。功績が大きいほど言葉に重みが増すのは確かだが、思考のトレースである文章はそんな簡単なもんじゃないと思うね。
この本を読んだのは、二十歳(はたち)の頃だと思うが、内容は完全に失念。今となっては買ったのか借りたのかすらも覚えていない。それでも、感動したことだけは記憶に残っている。
本当に人間の真価が問われるのは、こうした逆境にある時、言葉をかえていえば、不遇の時代にどう対処したかである。古今東西で度量や器量をそなえた人間は、必ずといっていいほど不遇な時代をもち、そのマイナスの時期をプラスに転じて、陽のあたる場所にでてくるのである。
さすがフィールズ賞受賞者。「度量」や「器量」という言葉は中々出るもんじゃない。数学界の裏も表も知ればこそ、こんな言葉が顔を出したことと想像する。しかもこの人、兜町でも名の通った投資家でもある。