かつて心とナリフリは一致していた/『男の衣裳箪笥』古波蔵保好


 瀟洒(しょうしゃ)なエッセイ。読み終えた後で、向井敏が絶賛していたことを知り、随分と気をよくしたものだ。まだ二十歳(はたち)の頃の話。そういや、VANやJUNが潰れたのも同じ時期だった。

 ところで、日本では、ナリフリはどうでも、リッパな心を持つことが大事だ――などという人が案外に多い。なるほど、モットモらしい言葉で、ナリフリのよさと心のリッパさと、どっちに値打ちがあるかとくらべたら、だれしもリッパな心に信頼を寄せたいはずだ。
 だから言葉としては、正しいのだが、一種の観念論だ――と私は解している。また観念論なので、次元の高い言葉のように感じられるのだろう。
 そういう言葉が、いつごろからはやりだしたのか知らないが、実は、むかしから、節度を重んじるサムライの社会では、服装は心構えの現れとみられていた。心とナリフリは一致していたのである。(中略)「ズール戦争」というイギリス映画があった。華麗な軍服のイギリス軍守備隊が、勇敢なズール族の大軍に包囲されて、全員戦死を覚悟している。息を詰め、銃を構えて待つイギリス兵の耳に、攻撃軍の太鼓はひびき渡り、だんだん近づいて、ズール族の整然たる足音は、もう目の前。やがてはじまる決戦が一瞬にして過ぎれば、生きている兵はひとりもいまい――という瀬戸際で、兵士たちの監督者である軍曹がやったのは、みんなの服装を点検し、ボタンのはずれた兵がいれば、それをかけさせて、軍人としての威儀を完全にすることだった。
 要するに、服装の乱れは心の乱れ、いさぎよく自分の運命と対決せんとするときの男は服装を厳正にするよう心がけたのであるが、逆に見れば、服装の厳正であることが、心理に作用して、いさぎよい行動を生むことにもなろう。そういったことから考えると、ナリフリは、心のありように影響するといえる。


【『男の衣裳箪笥』古波蔵保好〈こばくら・やすよし〉(PHP研究所、1973年)】


「威儀」ってえのが、よござんすな。確かにフリースじゃ威儀の正しようがない。紳士服の代名詞といえば背広(=スーツ、ね)であるが、これは元々イギリスの軍服を洗練させたものだ。


 この手の議論はどちら側にでも転がすことが可能だが、古波蔵保好の文章には逆らい難いジェントルマンシップがある。やはり、コンビニの前でだらしなく座り込んでいる制服姿の高校生よりも、英国のトラディショナルスーツで身を固めた大人の方が説得力があるというものだ。


 とは言うものの、私は普段ジャンプスーツを愛用している。エエ、そうです。ただの「ツナギ」でさあ(笑)。服装はやはり楽な方が好ましい。腹が出てくるとベルトが必要なズボンは下がってくるんだよね。そして夏は短パンである。私は背広は好きなのだが、ネクタイが嫌いなのだ。服装に関してはホリエモンを支持する。



男の衣裳箪笥