ニュートン別冊を読むたびに、イラストとテキストのバランスの悪さが気になる。絵は大きすぎるし、文字は小さすぎる。高齢者には不向きな雑誌である。
さほど期待してはいなかったのだが、意外な発見がいくつもあった。
そのはじまりはアインシュタインが16歳のときに抱(いだ)いた次の疑問でした。
「もし自分が光の速さで飛んだら、顔は鏡(かがみ)に映るのだろうか?」
顔が鏡に映るには、顔から出た光が鏡に達し、反射して自分の眼にもどってくる必要があります。しかし自分が光と同じ速さで動いていたらどうでしょう? 光は前には進めず、鏡に届かないのではないでしょうか? しかしアインシュタインは「止まった光」などありえないのではないかと考え、悩みました。
【『みるみる理解できる相対性理論 改訂版』ニュートン別冊/佐藤勝彦監修、水谷仁編集(ニュートン プレス、2008年)以下同】
「光の速さで飛んだら」という話は聞き及んでたが、鏡の件(くだり)は知らなかった。
空気中を伝わる波である音(音波)を考えましょう。音速で飛ぶ旅客機の先端から出た音波は、旅客機の前に出ることはできません。
音速の速さは気温や気圧によってかわりますが秒速約340メートルです。そして音波は止まった空気に対して秒速約340メートルで進みます。さて音速で飛ぶ旅客機も、止まった空気に対して秒速約340メートルの速さで飛んでいます。ですから旅客機から見ると、前に進む音波は差し引きで速さゼロになってしまい、旅客機の前に出られないのです。以上のことから、こう結論することができます。すなわち、
【もし光が音と同じ性質をもつなら、光速で進む顔から出た光は、かがみ(ママ)に届かないでしょう。】
光は秒速30万kmである。音は速いようで遅い。だからこそ我々は、左右の耳に届く時間差で音の方向を知覚できるのだ。
では真相はどうなのでしょう? 結論を先にいっておきましょう。相対性理論によれば、光速で飛んでも自分の顔はかがみに映ります。つまり、
光は音のような波とは明らかにことなるということです。
なぜ違うのか?
光は媒質を必要としないのです。
なるほど。音が伝わるには大気が必要だ。中学生の時、理科の先生が「宇宙で爆発音などするわけがない」と宇宙戦艦ヤマトを批判していたが、まったくその通りだ。
それまでは波が海という媒体を必要とするように、光はエーテルという媒質を介して伝播すると考えられていた。アインシュタインはエーテルの存在を疑った。更にはニュートンの絶対座標という概念にも疑問を抱いた。
光速度は相対的な速度とされ、絶対座標に対して止まっている観測者にだけ秒速30万kmに見えると考えられていた。アインシュタインは「光速度不変の原理」で両方を葬った。南無──。
アインシュタインを初めとする理論物理学者が示しているのは、豊かな想像力から生まれた問いの中に、宇宙の真理が隠されていることであろう。偉大な問いは、答えをはらんでいるのだ。
パラダイム・シフトによって世界と宇宙が引っくり返され、まったく新しい姿を見せた。人間は概念を通して世界を認識する。概念とは構造である。
相対性理論は光速度以外の絶対性を葬り去った。もはや神の居場所はない。