松下幸之助の自負/『若さに贈る』松下幸之助

 ちょうど一年前、松下電器産業はパナソニックに社名を変更した。「ナショナル」という名前も消えた。


“経営の神様”は尋常小学校を4年で中退し、丁稚奉公に出された。大阪の路面電車を見て感激し、電気に関わる仕事を志す。電球の取り外しができるソケットを考案し独立。後に二股電球ソケットが爆発的なヒット商品となる。

 5年ほど前、当時のソ連のミコヤン副首相と会ったときも、2時間ばかりのあいだに、人民解放の話が出ましたが、なごやかな話のふんいきのなかで、わたしは、あなたは人民を解放したといわれるが、日本の婦人解放をじっさいにやったのは、このわたしだ、と笑いながらいったものです。
 それはどういうわけか、とミコヤン氏がいうので、今日、日本の婦人たちは、台所にしばられていた以前にくらべて、遊ぶ時間ができ、本を読む時間をたくさんもつようになっているが、それは、わたしが家庭電気器具をずっとつくってきて、それを普及させたからだ、といったのです。するとミコヤン氏は、わたしの手をぐっとにぎって、おまえは資本家ではあるが、偉いといいました。


【『若さに贈る』松下幸之助講談社現代新書、1966年)】


 ここに松下幸之助の自負がある。彼は単に物を売る商売人ではなかった。国民の生活を豊かにし、国家の将来を明るい方向へリードしようとした。松下が展開したPHP運動が本物であるならば、松下政経塾出身の議員が松下以上の存在感をもって政界再編の礎石となるべきだ。と期待はするものの、現状はまだまだ書生っぽさが抜けませんな。