ターミナルケアを「医療」の枠にはめるな/『ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会』広井良典


 介護保険の導入が2000年なので、それを睨(にら)んで執筆したものと思われる。発行から既に10年以上経過しており、時期を逸した感もあるが、それでも有益さが損なわれることはない。


 広井良典が説くのは「思想としてのケア」であり、「ケアという行為」から人間と社会を捉え直してパラダイム・シフトへと誘(いざな)う。文章がまどろっこしいのが悪い癖だが、きっと慎重かつ丁寧な性格なのだろう。それにしても視点の位置が高い。


 昨今は介護保険の陰になって論じられることの少ないターミナルケア(週末医療)の問題をこう指摘する――

 ターミナルケアが「医療」の問題として論じられるかぎり、どうしてもそれは苦痛緩和の問題であったり安楽死の境界線引きの問題であったり等々と、どうしても「技術論」に傾いてしまう。しかも、ターミナルケアの問題がいわば「メディカル・ターム」で語られると、そこにある効果が働き、ターミナルケアの問題が限りなく“専門職種”の話に閉ざされ、矮小化されていってしまう。「死のブラックボックス化」とでもいうか、死というものが、ふつうの人たちの手から限りなく遠くへやられ、しかもターミナルケアの問題がどんどん本質から遠ざかっていくのである。


【『ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会広井良典ちくま新書、1997年)】


 医療の俎上(そじょう)に載れば技術論に傾き、政治が取り上げると予算額(健康保険)に終始する。専門家は専門用語を乱発し、国民の手から“問題”を取り上げようとする。「我々に任せておけばよろしい。よきに計らおう」と言わんばかりに。


 結局、専門家に欠如しているのは、家庭という現場における生活感であり、実際に家族が抱えている苦悩に対する想像力だ。中途半端な施策が国家の力を弱めているようにしか見えない。


 広井良典は、まず確固たる死生観の構築が必要であり、死をどのように捉えるかで制度も異なってくると指摘している。現代社会は「死」をも病院の中に閉じ込めてしまった。


 ターミナルケアや介護に携わる人々は、利用者から見れば家族も同然である。賃金を受け取っているとはいえ、家族以上に面倒を見てくれている。これ自体が「新たな家族の枠組」への志向と考えてよいと思う。


ケアを問いなおす―「深層の時間」と高齢化社会 (ちくま新書)