大衆消費社会は「モノの消費」から「情報の消費」へ

 現代は、消費社会とか、高度大衆消費社会等と言われる。モノの生産よりも、消費のほうが経済を主導する要因になっているような社会、という意味であり、その背景は、産業化社会が一定以上の水準に達し、衣食住などの基本的な需要は満たされるに至った社会であるため、かつての「モノ不足」の時代には生産の水準こそが経済の決定要因であったのに対し、むしろ消費のありようとか消費者の志向こそが、生産活動や経済を導いていくようになっている、ということである。
 しかもその場合の消費とは、「モノ」の消費とは限らない。むしろ純粋に「物質的」な意味での消費の比重は、経済が高度化するにつれて小さくなってきている。例えば、私たちがTシャツを買ったり、小物を買ったりするとき、私たちは決してその「素材」そのものに着目して購入するのではなく(もちろんそうした場合もあるだろうけれども)、むしろそのデザインとか、場合によってはブランド等により関心を示して買うわけである。これをやや哲学的(?)に言うと、私たちはそういうとき、「モノ」を消費しているのではなく、いわば「情報」を消費しているのであり、モノはそうした情報が込められた乗り物に過ぎない、ということになる。


【『ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会広井良典ちくま新書、1997年)】


ケアを問いなおす―「深層の時間」と高齢化社会 (ちくま新書)