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日米安保という幻想/『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて』孫崎享


 孫崎享〈まごさき・うける〉を初めて知ったのは、岩上安身USTREAMインタビューでのこと。そのフランクな物腰から元外務官僚であるとは伺い知れなかった。どこから見ても「近所のオジサン」である。実はそこにこの人の凄さがある。仕立ての良さそうなスーツや、おっとりとした上品な口調や、手の込んだ難しい言葉で装飾する必要がないことを示している。


 佐藤優同様、孫崎も実務家である。そして彼らは忠臣でもあった。とはいっても特定の権力者の意向に寄り添ったわけではない。国民から成る国家に忠誠を尽くした。該博な知識や視点の高い卓見もさることながら、義を尽くし誠を貫こうとする気風を感じてならない。


 自由な言論は時に分際をわきまえず極端から極端へと走り回る。できもしないこと、やりもしないこと、直接は言えないことを無責任に放つ。そこに礼の精神はない。あるとすれば肥大した自我だけであろう。佐藤と孫崎は分際をわきまえながら、ギリギリのところで諫言(かんげん)を行う。かように正義と中庸を知る人物は少ない。


 まず、「まえがき」で戦略の意義を説く──

 戦略とは、「人や組織に死活的に重要なことをどう処理するか」を考える学問である。


【『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて』孫崎享〈まごさき・うける〉(詳伝社新書、2010年)以下同】

 戦略はなくても戦争は戦える。しかし負ける。戦略はなくとも企業経営はできる。しかし、長期的には恐らく、世界市場で勝ち残ることはできないであろう。
 戦争も経営も、実験することはできない。しかし、歴史的結果を踏まえて学ぶことはできる。組織も個人も、戦略を学ぶ必要がある。

 戦争は手段であって目的ではない。戦闘は非日常行為といってよい。自由と幸福は平和の中で実現される。そうであればこそ、孫子はこう言ったのだ──

 だが資本主義が世界を席巻するようになり、人々の日常は否応なく戦闘状態となってしまった。社会では人間が比較され、取捨され、消費されている。我々は生まれ落ちてから死ぬまで競争に駆り立てられている。


 とすれば、こうした時代を生きる以上、一人ひとりに戦略が必要となる。戦略は目的から生まれ、目的は理念・思想・価値観などからつくられる。世界中で多くの人々が苦しんでいる以上、権力を牛耳っている連中がエゴイスティックな思想の持ち主であることは明らかだ。


 孫崎は現状の日本に戦略が欠けていることを、日米安保から鮮やかに描いている。

 こう書くと、誇張(こちょう)でいないかと反論される読者が必ずいるであろう。豊下楢彦(とよした・ならひこ)著『安保条約の成立』(岩波新書)は次の記述を行なっている。

「ダレス使節団が来日した翌日の1月26日、最初のスタッフ会議においてダレスは、『我々は日本に、我々が【望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利】を獲得できるだろうか? これが根本問題である』(中略)と、明確に問題のありかを指摘した」


 間違いなく、今日の米軍関係者はこの心理を継続している。

 ダレス使節団が来日したのは1951年(昭和26年)のこと。ジョン・D・ロックフェラー3世が同行している。

 つまり、1952年(昭和27年)4月28日にGHQの占領は終わったが、枠組みだけはきっちり残していったと考えるべきなのだ。


 連綿と続いた自民党の一党支配、それを支え続けた官僚機構、許認可事業でありながら完全に独占している新聞社とテレビ局、主要電力会社電通なども同じ臭いを発している。明らかに競争原理と離れた位置で巨大な城のようにそびえ立っている。

 多くの国民は、日米安保条約で日本の領土が守られていると思っている。日本の領土を外国から守るという点では、日本人の最大の関心は尖閣諸島である。中国が尖閣諸島を攻撃したらどうなるのか?
 多くの日本人は日米安保条約があるから、米国は即、日本と共にに戦うだろうと思っている。かつ、米国政府要人はその印象を与えてきた。日本の外務省幹部は「絶対守ってくれる」と言ってきた。そんなに確実なのか、改めて考える必要がある。
【1996年、時の駐日大使モンデールは「米国軍は安保条約で(尖閣諸島をめぐる)紛争に介入を義務づけられるものではない」と発言した。】


 我々日本人はアメリカに対して膨大なみかじめ料を支払ってきたために、何かあれば暴力団みたいに守ってくれるものと錯覚してしまったのだ。


 安全保障条約は国家と国家とが対等の関係で有効に機能する。アメリカからすれば、「自分で戦わないうちから当てにされても困る」ってな具合だろう。日本が望んだのは「棚ぼた式安全保障」であった。そんなもの画餅(がべい)であろう。小学生の時の初恋よりも淡くはかない。カルピスの味すらしねーわな(笑)。

 1986年6月25日付、読売新聞夕刊一面トップは「日欧の核の傘は幻想」の標題の下、次のようなターナー元CIA長官の言葉を報じた。

【「同様に、日本の防衛のために核ミサイルを米本土から発射することはあり得ない」「われわれはワシントンを犠牲にしてまで同盟諸国を守る考えはない」「アメリカは外国と結んだ理化学防衛条約にも、核使用に言及したものはない」】


 だいたい被爆した国が核の傘で守ってもらうという発想がいただけない。傘の下がきのこ雲で充満しそうだ。


 アメリカは日本の脇の下をくすぐりながら、官僚とメディアをコントロールして、日本国民が勘違いする方向付けを行ったのだろう。

 竹島もまた、日本の管轄下にあるとは見なされない。したがって、これも安保条約の対象外である。
 米国は過去、竹島問題で、日韓のいずれの立場も支持するものでないとの立場をとってきたが、【ブッシュ大統領訪韓時、米国は竹島を韓国領と位置づけた】。2008年、米国地名委員会がこれまで韓国領としていたのを、係争中に変更した。ちょうどブッシュ大統領の韓国訪問直前でもあったので、韓国側は大統領を含め、激しい抗議を米国に行なった。
 これをうけ、米国地名委員会は再度韓国領と修正した。この動きはブッシュ大統領から来週国防長官の支持に基づくと報じられている(「The Japan Timues」2008年8月1日付報道)。2010年5月時点でも、【米国地名委員会は竹島を韓国領と見なしている】。(中略)
 日本は、世界で最も米国に忠実な国である。しかし、米国は、尖閣諸島であれ、竹島問題であれ、最も忠実に米国に従う日本の立場は無視している。米国は、敵対的地位にある中国や、文句を言う韓国の立場を重視している。これ一つみても、「米国に追随するだけ」の戦略では日本に利益をもたらさないことがわかる。
 日本多くの人は、日米同盟の下、米国は領土問題で日本の立場を強く支持していると思っている。だが、実態は違う。竹島では韓国の立場を支持し、尖閣諸島では日中のどちら側にもつかないと述べている。北方領土は安保条約の対象外だ。びっくりすると思う。しかしこれが実態だ。


 孫崎のツイッターによれば、2005年「日米同盟未来のための変革と再編」の役割・任務 能力の項目で「島嶼部(とうしょぶ)への侵略対応は日本」とされているとのこと。日本が島国であることを踏まえると、「悪いが北海道も九州も四国も島嶼部ということで」と言われてしまえばお手上げだ。


 結局敗戦後、軍隊を失ったことで独立国になれなかった我が国の姿が浮かび上がってくる。色々な考えがあるだろう。色々な考えがあってしかるべきだ。それが民主主義のいいところなんだから。


 私は、軍隊を侵略のための暴力装置として見るのではなく、セキュリティという次元から光を当てるべきだと考える。つまり「ドア」であり「鍵」であり「防犯グッズ」。


 手っ取り早く結論を述べてしまおう。日本は元より世界各国が核爆弾を持つべきだと私は思う。だって、そうだろ? 核爆弾には抑止力があるのだから。まず全員が持つ。それから段階的に減らしてゆけばいいし、最終的になくせばいい。


 そうでもしない限り、第二次大戦後の連合国支配の世界構造は変わらないよ。変わらないとすれば、沖縄の若い女性はいつまでも強姦され続けることになるだろう。


 私の最終的な案としては、戦争を本当のゲームにしてしまうことだ。対戦国は互いに得意なゲームを指定する。で、元首同士が直接勝負するのだ。これをオリンピック化することを提案したい。例えば、中国=書道、アメリカ=アメリカン・フットボール、日本=囲碁、イギリス=クロスワードパズル、モンゴル=乗馬、インド=カレー、西アフリカ=トーキングドラムといった具合だ。


 料理や絵画だって構わない。どうせ俺たち人類は争い合いが好きなのだ。最終的な提案の最終形はこうだ。親切、優しさ、公正さ、紳士ぶりを各国が競い合う。


日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて(祥伝社新書210)