古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

挨拶のできない人々


 仕事上で様々な企業や店舗へ行くが、挨拶のできない人を時折見かける。私は声が大きいので、聞こえないということは考えにくい。「多分忙しいのだろう」「きっと心に余裕がないのだろう」と思うように努力しているのだが、あまり上手くゆかない。


 私の実家は幼少の頃より来客が多く、きちんと挨拶をしないとゲンコツが飛んできた。教育方針といった大袈裟なものではなかったことだろう。ただ、当たり前のことを当たり前にやれ、といった雰囲気であった。だから近所でも「あそこの子は本当にしっかりした挨拶をする」と評判だった。


 何度か足を運んでいるうちに、挨拶できない人の輪郭が見えてくる。彼、あるいは彼女達は上司に対して挨拶を欠かすことはない。つまり、スネ夫ジャイアンを無視することがないのと同じだ。ということは、私はのび太なのか。


 挨拶のできない連中は、一瞥をくれた瞬間に上下関係や社内力学を判断し、無視しても構わない相手かどうかを選別しているのだ。やっぱりスネ夫だ。


 挨拶というのは、社会に向かって自分の心のドアを開く営みであると私は考えている。つまり、「挨拶をできない」という反応の鈍さが、必ず生活や人生に反映しているはずだ。連中に子供がいたとすれば、子供の反応を敏感に察知し、喜怒哀楽を共有することは難しいだろう。


 挨拶しない奴を見る度に、「ケッ、こんなところに犬のクソが落ちてやがるよ」と私は心で罵ることを励行している。一度でも挨拶を欠いた人物に、私の方から挨拶をすることはない。挨拶の道は厳しいのだ。