「6月……」と彼女は言った。「そうか……」と私は応じた。浅川の柔らかなせせらぎが聞こえた。
彼女の母親が亡くなってから3ヶ月が過ぎていた。この間、スキルアップを勝ち取った彼女は新しい職場で奮闘してきた。多分、誰よりもその姿を喜んだのは、亡くなったお母さんだったことだろう。
「人生で最大のストレスを感じるのは“家族の死”に接した時と言われているが、君はどうだ?」と訊ねた。「それが、あまり感じてないんだよね」。あっけらかんとした顔つきで即答した。「でも……」と彼女は続けた。「母親の死を、私自身がまだ受け容れてないのかも」。クルクルとよく動く表情が微笑んでいた。
きっと、今は亡きお母さんが、彼女をそういうふうに育てたのだろう。それでもいつか、普段は意識に上らない“心の穴”を風が通り抜ける日が訪れるに違いない。人の心は、人生で何かを失うたびに穴の数が増えてゆく。そして人は、孤独に耐えることで自立するのだ。
亡き母は、彼女の胸の内で生き続けることだろう。生死不二(しょうじふに)なれば、生が死を包み、死は生を照らす。