古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

目撃された人々 21


 前回書いたやつの評判がよかった。読者から10通ほどのメールが寄せられた。というのは嘘だ。本当は2通だ。でも、少なからず反応があるのは嬉しい。


 で、何か書こうと思ったものの、如何せんネタがない。そこで、前回書いた女性の続きを書いて誤魔化すことにしよう。取り敢えず、この女性のことを「ペコちゃん(仮名)」と名づけておく。


 秋晴れの午後、つまり今日の昼のことだ。何の話をしていたかは忘れてしまったが、ペコが「うちの母もそうだったよ。亡くなる前に、『遺影はこれにしてね』『私がいなくなった後に、これをしておいてね』とか言ってたよ」と語った。


 その瞬間である。私の脳内でシナプスバチバチと音を立ててフル回転した。この間、わずか0.25秒ほどだ。そして、ペコが何かを言い、私が「それは違うぞ」と応じた。


「君のお母さんは――」この後、約7秒経過。「自分の人生を肯定できたからこそ、迫り来る死を迎え入れることができたんだ。死ぬってことは誰にとっても恐ろしいことだ。死と向き合うことは中々できるものじゃないよ。君のお母さんは立派だ」。これがシナプスの結論だった。私は言葉には出さなかったものの、いたく心を打たれた。


 人は電波のようなものを発している。たとえ、死んだとしてもだ。私は何とはなしに、ペコのお母さんの電波を感じたのだ。それを受信した私の脳が、めまぐるしく動くのも当然である。


 しかし半日が経過した今、錯覚だったようにも感じている。私がキャッチしたのは、ペコの内側でまだ生きているお母さんだったのかも知れない。本当は、お母さんではなくペコの一部であり、お母さんから生まれたのはペコだから、やっぱりお母さんとペコは一体不二なのだろう。


 私は一人の人間の中に、二人の人間を感じた。生命は交錯する。そして、反射し合うのだ。生死(しょうじ)という壁すら越えて。