古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

パソコンの世界は「死」に覆われている/『安全太郎の夜』小田嶋隆

『我が心はICにあらず』小田嶋隆

 ・『安全太郎の夜』小田嶋隆

『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆


 ま、進化のスピードが極端に速いってな話だ。本当は宮崎勤の件(くだり)を紹介したかったのだが、本日分のスペースが長大になってしまうため、後日披露しよう。

 真面目な話、有為転変の激しいこの(※パソコンの)世界にいると、つくづく「死」というものについて考えさせられる。
 死が不可避のものであるとしたら、我々の生は、そのまま緩慢な死にほかならないなどと、まだ何もしらなかった学生の頃、私はそういう抽象的なことを考えていたことがあるが、パソコンの世界では、死はもっと具体的にして日常的なもので、犬のクソみたいにそこら中に転がっていた。しかも、ここで私が見てきた死は、緩慢な死どころか、すべて頓死であり、突然死であり、葬式も執り行なわれない、あっけらかんとした不条理な、間抜けな死ばかりであった。
「今日、ママンが死んだ」
 そうだろうとも、ママンは毎日死んでいる。


【『安全太郎の夜』小田嶋隆河出書房新社、1991年)】


「死」を対比、羅列した後で、カミュ(『異邦人』)と来たもんだ。蝶のように舞い、蜂が突然くすぐるような闊達さがオダジマンの魅力だ。


 それでは、2008年はこれにて終了。明年もひとつ宜しくお願い申し上げます。さあて、ウイスキーでもがぶ飲みするか(笑)。皆さん、よいお年を。


・『安全太郎の夜