「万物と共に踊る」ものは何か?/『高村光太郎詩集』

 東京は梅雨が明けた。夾竹桃(きょうちくとう)が色めき、ひまわりがスッと背丈を伸ばしている。灼熱の太陽と我慢比べをするみたいに蝉が鳴き始めた。


 私はどんなに暑くともエアコンを使わない。「夏に負けてなるものか」と意地を張り、夏のエネルギーを体内に取り込む。メシさえしっかり食べていれば、夏は恐れるに足らない。


 そして、いよいよ耐えられない暑さに遭遇すると、私は高村光太郎の「冬が来た」と「冬の詩」を読むことにしている。これぞ、“脳内クーラー”だよ(笑)。


 では、夏にぴったりの詩を紹介しよう――

万物と共に踊る


 彼は万物を見る
 また万物を所有する
 重いものをもち又軽いものをもつ
 明るいものを見また暗いものを見る
 人のいふ矛盾が矛盾にならない
 砂糖の中へ塩を入れる
 燃える火から水を取る
 あらゆる対立は一つに溶ける
 あらゆる差別は一つに輝く
 相剋と戦闘と
 排擠(※はいせい)と鍛錬との
 身を切る苦しさに七転する時も
 彼は共を成し遂げる必勝の気魄を持つ
 最も忠実であつてしかも背叛する
 最も真摯であつてしかも悪謔する
 最も激烈な近代人であつて
 しかも最も執拗な古代人である
 最も精霊的であつて
 しかも最も肉体的である
 女と共に泣き
 女と共に踊る
 女を憎み
 女を愛する
 愛憎を超へた永遠を知る
 その一源をつねに掌中に握る
 それゆゑ
 女の信頼し得る最も堅固な胸である
 純一であつて単調でない
 複雑であつて乱多でない
 つねに死身(しにみ)で
 しかもつねに笑つてゐる
 貞潔であつて又多情である
 自由を極めてしかも或る規律がある
 そしてあらゆる凡俗と妥協とを絶してゐる
 万物は彼に押しよせ
 彼は万物と共に乱舞する
 天然の素と交通し
 天然の実(じつ)を実とする
 すべての瑣事はみな一大事となり
 又組織となる
 彼は自らに信憑(しんぴょう)し
 自らの渇慾に羅針を据ゑる
 彼にとつて
 生長は生長の意識でなくて
 渇慾の感覚である
 そして遂行(すゐかう)の喜悦である
 そして又剰残(じやうざん)の不満である
 現状の不安である
 あらゆる刺戟は彼の空虚をめざめしめ
 あらゆる養ひは彼の細胞にひびき渡る
 幺微(えうび)に入り
 不可思議にせまる
 彼は万物と共に踊り
 彼は万物を見
 また万物を所有する
 彼は絶えず悩み、絶えずのり越す
 ――偉大の生れる時だ


【『高村光太郎詩集』(岩波文庫、1981年)】


 まるで、真夏のカーニバルだ。この詩を時々読み返しているのだが、「万物と共に踊る」ものが何かを探しあぐねている。


「熱」か。あるいは「生命力」か。はたまた、「神」か「精霊」か。もしくは、「振動する分子」か「スピンする素粒子」か。


 情動と情緒が均衡を保ちながらも、理性と思考を吹き飛ばす勢いに溢れている。どこかで見たことがある。そして、いつか感じた憶えがある。


「意識下で燃え盛っている何か」――今の私に考えつくのは、こんなところだ。そして、いつまで経っても「偉大」は生まれてこない。難産にさせているのは、取るに足らない常識に縛られているためだろう。


 狂喜乱舞する精神の躍動がなければ、人間とは言い難い。この詩を読んで、つくづくそう思う。