古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「冬の詩」/『高村光太郎詩集』

 雲取山の山頂付近に雪が見え始めた。丹沢も雪化粧を始めた。冬は嫌いだが、雪は大好きだ。上京してからというもの、雪が舞うと胸が踊る。降る雪と私の瞳の間に故郷(ふるさと)の北海道が立ち現れるのだ。天からの贈り物が、私の奥深くにある感情を刺激してやまない。


 冬はありとあらゆる虚飾を剥(は)ぎ取る。怠惰な人間を家に閉じ込め、仮面を粉砕し、厚化粧に鉄槌を加える。冬は、生命(いのち)の力を試す。

冬の詩


 一


 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 見わたすかぎり冬だ
 再び僕に会ひに来た硬骨な冬
 冬よ、冬よ
 躍れ、叫べ、僕の手を握れ
 大きな公孫樹(いてふ)の木を丸坊主にした冬
 きらきらと星の頭を削り出した冬
 秩父、箱根、それよりもでかい富士の山を張り飛ばして来た冬
 そして、関八州の野や山にひゆうひゆうと笛をならして騒ぎ廻る冬
 貧血な神経衰弱の青年や
 鼠賊(そぞく)のやうな小悪に知慧を絞る中年男や
 温気(うんき)にはびこる蘚苔(こけ)のやうな雑輩や
 おいぼれ共や
 懦弱で見栄坊(みえぼう)な令嬢たちや
 甘つたるい恋人や
 陰険な奥様や
 皆ひとちぢみにちぢみあがらして
 素手で大道を歩いて来た冬
 葱の畠に粉をふかせ
 青物市場に菜つぱの山をつみ上げる冬
 万物の生(いのち)をさけび
 人間の本心をゆすぶり返し
 惨酷で、不公平で
 憐愍を軽蔑し、感情の根を洗ひ出し
 隅から隅へ畏(おそ)れを配り
 弱者をますます弱者にし、又殺戮し
 獰猛(どうまう)な人間に良心をよびさまし
 前進を強ひて朗らかな喇叭(らつぱ)を吹き
 気まぐれな生育を制(おさ)へて痛苦と豊穣とを与へる冬
 冬は見上げた僕の友だ
 僕の体力は冬と同盟して歓喜の声をあげる
 冬よ、冬よ
 躍れ、さけべ、腕を組まう


 二


 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 都会のまんなかも冬だ
 銀座通りも冬だ
 勇敢な電車の運転手、よく働く新聞の売子、誠実な交番の巡査、体力を尽す人力車夫
 冬は汝に健康をおくる
 大時計の鐘も空へひびいて鳴りわたり
 宝石は鋭くひかり
 毛布、手袋、シヤツ、帽子、ボア、マツフ、外套、毛皮は人間の調節性を語り
 葉巻紙巻の高価な烟草、ポムペイヤ、シクラメン、カシミヤ、ペロキシイド、香水、サボン、クリイム、白粉は、人間の贅沢と楽欲との自然性を讃美する
 ラヂウム エマナトリウムに冬は人間の滑稽な誇大癖を笑ひ
 湯気の出てゐるカフエの飾菓子に冬は無邪気な食慾をそそる
 女よ、カフエの女よ
 強かれ、冬のやうに強かれ
 もろい汝の体を狡猾な遊冶郎(いうやろう)の手に投ずるな
 汝の本能を尊び
 女女しさと、屈従を意味する愛嬌と、わけもない笑と、無駄なサンチマンタリスムとを根こそぎにしろ
 そして、まめに働け、本気にかせげ、愛を知れ、すますな、かがやけ
 冬のやうに無惨であれ、本当であれ
 白いエプロンをかけ、鉛筆をぶらさげたカフエの女よ
 けなげな愛すべき働き人(にん)よ
 冬は汝に堅忍をあたへる
 冬は又、銀行の事務員、新聞社の探訪、保険会社の勧誘員を驚かし
 冬は自動車のひびきを喜び
 停車場内の雑踏と秩序とを荘重に彩り
 時のきびしさを衆人に迫る
 冬よ、冬よ
 躍れ、さけべ、足をそろへろ


 三


 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 大川端も冬だ
 永代の橋下(はししも)にかかつて赤い水線を出して居る廻運丸よ
 大胆な三百噸の航海者よ
 海の高い、波に白手拭のひるがへる、鴎の啼いて喜ぶ冬だ
 汝の力を試す時だ、汝の元気の役立つ時だ
 さうだ、さうだ、鯨のうなる様な汽笛をならせ
 檣(ますと)に網を張れ、旗を上げろ、黒い烟を吐け
 猶予するな、出ろ、出ろ
 あの大きい、乗りごたへのある大洋へ出ろ
 汽罐を鳴りひびかせろ
 働いてほてつた体に霙(みぞれ)を浴びろ
 ああ、数限りのない小舟の群よ
 動け、走れ、縦横自在にこぎ廻れ
 帆かけ船は帆をかけろ
 にたりは艫べそに水をくれろ
 水に凍えたまつ赤な手足をふり動かせ
 忠実な一銭蒸気は、我もの顔に大川を歩け
 冬は並び立つ倉庫に乾燥をめぐみ
 高い烟突の煤烟を遠く吹き消し
 大きな円屋根を光らし
 川べりの茶屋小屋を威嚇し
 吾妻橋の人込みに歓喜する
 土工よ、人足よ、職工よ
 汗水を流して、大地に仕事をし、家を建て、機械を動かす天晴(あつぱれ)の勇者よ
 汝の力をふりしぼれ、汝の仕事を信仰しろ、汝の暴威をたけらせろ
 泣く時は泣け、怒る時は怒れ、わめく時はわめけ
 やけになるな、小理窟をいふな
 冬のやうにびしびしとやれ
 背骨で重い荷をかつげ
 大きな白い息を吹け
 ああ、かはいらしい労働者よ
 冬はあくまで汝の味方だ
 骨身を惜しまず正義を尽せ
 冬よ、冬よ
 躍れ、叫べ、足を出せ


 四


 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 高台も冬だ
 馬車馬のやうに勉強する学生よ
 がむしやらに学問と角力(すまふ)をとれ
 負けるな、どんどんと卒業しろ
 インキ壷をぶらさげ小倉の袴をはいた若者よ
 めそめそした青年の憂鬱病にとりつかれるな
 マニュアリストとなるな
 胸を張らし、大地をふみつけて歩け
 大地の力を体感しろ
 汝の全身を波だたせろ
 つきぬけ、やり通せ
 何を措いても生(いのち)を得よ、たつた一つの生(いのち)を得よ
 他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ
 それを攻めろ、そして信じ切れ
 孤独に深入りせよ
 自然を忘れるな、自然をたのめ
 自然に根ざした孤独はとりもなおさず万人に通ずる道だ
 孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな
 根のない感激に耽る事を止めよ
 素(もと)より衆人の口を虫しろ
 比較を好む評判記をわらへ
 ああ、そして人間を感じろ
 愛に生きよ、愛に育て
 冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ
 平和のみ愛の相(すがた)ではない
 平和と慰安とは卑屈者の糧(かて)だ
 ほろりとする人間味と考へるな
 それは循俗味だ
 氷のやうに意力のはちきる自然さを味へ
 いい世界をつくれ
 人間を押し上げろ
 未来を生かせ
 人類のまだ若い事を知れ
 ああ、風に吹かれる小学の生徒よ
 伸びよ、育てよ
 魂をきたへろ、肉をきたへろ
 冬の寒さに肌をさらせ
 冬は未来を包み、未来をはぐくむ
 冬よ、冬よ
 躍れ、叫べ、とどろかせ


 五


 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 見渡すかぎり冬だ
 その中を僕はゆく
 たつた一人で――


【『高村光太郎詩集』高村光太郎岩波文庫、1981年)】