これはドラマでも引用された詩である。何度読んでも涙が止まらなかった覚えがある。親にどんな事情があったかは知らぬが、子供にこんな思いをさせるのは許されないことだ。
がっこうから うちへかえったら
だれもおれへんねん
あたらしいおとうちゃんも
ぼくのおかあちゃんもにいちゃんも
それにあかちゃんも
みんなでていってしもうたんや
あかちゃんのおしめやら
おかあちゃんのふくやら
うちのにもつがなんにもあれへん
ぼくだけほってひっこししてしもうたんや
ぼくだけほっとかれたんや
ばんにおばあちゃんかえってきた
おじいちゃんもかえってきた
おかあちゃんが 「たかしだけおいとく」
とおばあちゃんにいうてでていったんやって
おかあちゃんが ふくし(福祉事務所)からでたおかね
みんなもっていってしもうた
そやから ぼくのきゅうしょくのおかね
はらわれへんいうて
おばあちゃんないとった
おじいちゃんもおこっとった
あたらしいおとうちゃん
ぼく きらいやねん
いっこもかわいがってくれへん
おにいちゃんだけケンタッキーへつれていって
フラドチキンたべさえるねん
ぼくつれていってくれへん
ぼく あかちゃんようあそんだったんやで
だっこもしたった おんぶもしたったんや
ぼくのかおみたら じっきにわらうねんで
よみせでこうたカウンタックのおもちゃ
みせたらくれくれいうねん
あかんいうてとりあげたら
わあーんいうてなくねんで
きのうな
ひるごはんのひゃくえんもうたやつもって
こうべデパートへあるいていったんや
パンかわんと こうてつジーグのもけいこうてん
おなかすいたけどな
こんどあかちゃんかえってきたら
おもちゃもたしたんねん
てにもってあるかしたろかおもとんねん
はよかえってけえへんかな
かえってきたらええのにな
(あおやまたかし 小1)
【『わたしの出会った子どもたち』灰谷健次郎(新潮社、1981年)】
灰谷健次郎はあまり好きではない。本書も前半部分は暗くじめじめしている。不要なまでの罪の意識に酔っているようにすら見える。私はこの本を二度読んでいるが、印象は変わらなかった。
子供達の詩はいずれも素晴らしいものだ。関西弁の力なのだろう。赤裸々なまでの感情がほとばしっている。灰谷健次郎は、これ一冊読めば十分だ。