・重度身体障害者が独り暮らしを断行
・『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
よもや、活字で「三角山」に出会うとは思わなかった。私は幼少時をこの山の麓(ふもと)で過ごしているのだ。それ以降、苫小牧、帯広と引っ越し、再び札幌の同区内に戻っている。本書は、まだ介護保険が整備されていない時期に、筋ジストロフィー患者・鹿野靖明が独り暮らしを断行する顛末(てんまつ)を描いたルポルタージュである。amazonのリンクを辿って見つけた次第。講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
ではまず、鹿野の病状を紹介しよう――
できないといえば、この人には、すべてのことができない。
かゆいところをかくこともできない。自分のお尻を自分で拭くことができない。眠っていても寝返りがうてない。すべてのことに、人の手を借りなければ生きていけない。
さらに大きな問題があった。
35歳のとき、呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなり、ノドに穴を開ける「気管切開」の手術をして、「人工呼吸器」という機械を装着した。筋ジスという病気が恐ろしいのは、脈や腕、首といった筋肉だけでなく、内臓の筋肉をも徐々にむしばんでゆくことだ。
以来、1日24時間、誰かが付き添って、呼吸器や気管内にたまる痰(たん)を吸引しなければならない。放置すると痰をつまらせ窒息死してしまうのである。
【『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史〈わたなべ・かずふみ〉(北海道新聞社、2003年)以下同】
手っ取り早くいうと「筋肉が死んでゆく」病気である。その上気管切開をしていた。現在でも気管切開をしている要介護者は、ショートステイや訪問入浴を断られることが珍しくない。事故が懸念されるためだ。痰の吸引は医療行為に該当し、最近ではヘルパーにも認められつつあるが、現状の大半は医師・看護師と家族に限られている。多い場合だと一日に100回もの吸引を必要とする人もいて、家族の負担が大きい。
鹿野はボランティアの面々を「広い意味での家族」と位置づけることで、牽強付会の論理を押し通した。そして彼は、痰吸引を数多くのボランティアに指導した。ここにおいて介護現場で立場が逆転する。
重度の身体障害者が独り暮らしを始めるというのは、文字通り自殺行為に等しかった。鹿野はなぜそこにこだわったのか。実は妹が知的障害者だった。彼は親に負担をかけることを嫌った。そして、一日三交替制で4人のボランティアを必要とする生活を開始した。月間だと述べ人数で120人ものボランティアが必要となる。
鹿野はおとなしい病人ではなかった。暴君といった方が相応しい。彼はわがままだった。だが、わがままを通さなければ生きてゆけない現実が確かに存在した。貪欲なまでに生を貪(むさぼ)り、生にしがみつき、生を堪能した。
そんな不満が爆発寸前のとき、「バナナ事件」は起こった。
ある日の深夜、病院の簡易ベッドで眠っていた国吉は、鹿野の振る鈴の音で起こされた。「なに?」と聞くと、「腹が減ったからバナナ食う」と鹿野がいう。
「こんな夜中にバナナかよ」と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で鹿野の口に押し込んだ。二人の間には、言いしれぬ緊張感が漂っていた。
「それに鹿野さん、食べるスピードが遅いでしょ。バナナを持ってる腕もだんだん疲れてくるしね。ようやく一本食べ終わったと思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて……」
もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせてベッドにもぐり込もうとする国吉に向って、鹿野がいった。
「国ちゃん、もう一本」
なにィ!! という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは急速に冷えていったという。
「あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もうこの人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるっていうのは、ある意味、立派。そう思ったんでしょうか」
そのときの体験を、国吉は入社試験の作文に書いてNHKに合格したという。現在は事件・事故現場からの“立ちリポ”でニュースにも登場する第一線の報道記者である。
これがタイトルの由来となった事件である。鹿野とボランティアの関係が実に上手く出ている。介護現場は生々しい格闘のリングであった。鹿野がボランティアを罵倒し、ボランティアが鹿野の頭を叩く場面もある。
取材を重ねる中で著者の渡辺一史もボランティアに加わる。その意味では、巻き込まれ型ノンフィクションともいえる。フィールドワークではない。なぜなら、鹿野靖明は他人を巻き込むエネルギーの持ち主であるからだ。
渡辺のペンは、鹿野を取り巻くボランティアの生きざまを炙(あぶ)り出す。ボランティアとは、「助けること」と「助けられること」とが密接不可分になり、融(と)け合い、時に立場が入れ替わる営みでもあった。
「そうじゃない、本当はこうしてほしい」
「そうじゃない、本当はこう望んでいる」
こうした障害者の思いは、往々にして、健常者が「よかれ」と思ってした行為や、安易な「やさしさ」や「思いやり」を突き破るような自己主張として発せられることが多い。介助者にしてみれば、つねに好意が打ち砕かれるような、激しさと意外性の伴う体験なのだ。
さらに考えなければならないことは、自立をめざす重度障害者たちは、こうした自己主張を対人間関係のみならず対社会にまで押し広げることで、在宅福祉制度の必要性を訴え、自立生活の基盤そのものを生み出してきた点だ。歴史的に見ても、彼らの飛び出した施設とは、障害者を隔離収容することで、安全に一律に“保護”しようという、安易で硬直した健常者の「やさしさ」や「思いやり」が生みだした産物であろう。
介護や医療の現場において、人間関係は凝縮された姿で現れる。迫り来る死の実感が、人間の本質をさらし出すのだろう。鹿野の偉大さは、制度の不備を嘆いているだけの人が多い中で、自らが打って出て必要な体制を築いた事実にある。中々できるものではない。ボランティアの高橋雅之が撮影した秀逸な写真が配されているが、鹿野はギラギラしている。
「フツウは、死にそうな体験を何度もすると、何があってもニコニコ笑った“おばあちゃん”みたいな、人にやさしく、あんまり欲もなく、不平不満も言わず、みたいな、そういう人物像を思い浮かべますよね。
でも、シカノさんの場合、何度も死ぬ思いをしてきたにもかかわらず、いまだにギラギラして脂(あぶら)っこいですよね。あれは――なんなんでしょうかね(笑)。オレとか、ワタナベさんより、100倍くらいは生命力が強いんじゃないですか」
私は斉藤と顔を見合わせて笑った。とても愉快だったのだ。
本書の完成を間近に控えた2002年8月12日、鹿野靖明は逝ってしまう。享年42歳。鹿野の死を取り巻くボランティアの様子も淡々と描かれている。
エド・ロングや小山内美智子といった大物も登場し、464ページで1890円は安い。渡辺の文章がとにかくいい。
人間として生まれた以上、他人の助けがないと生きてゆけない。そんな当たり前のことをドラマチックに教えてくれる一冊だ。