決して悪い本ではない。文章もこなれている上、著者自身が癌を宣告され余命いくばくもない中で執筆されているため独特な透明感がある。
老い呆けし母を叱りて涙落つ 無明無限にわれも棲みゐて(斎藤史〈さいとう・ふみ〉)
冒頭で紹介されている歌の一つ。親と子の「あるべき関係」が崩壊した時、自我の大地が激しく揺さぶられる。特に社会との同調性が高い日本人であれば尚のこと落伍感が激しい。自分の親がオムツをした姿を想像してみるといい。「ゲッ」となる人が殆どであろう。
認知症という病気が我々に教えているのは、不変と思われている自我が実は記憶に支えられている事実である。つまり自我とは記憶のことなのだ。するってえと、あれか。「私」というのは記憶媒体に過ぎないってことなのか? 御意。容量の乏しいハードディスクみたいなものだよ。情報が増えるにつれて作動が緩慢となり、次第次第に固まることが多くなってゆくのだ。時々あるだろ? 「あれ、今何をしようとしていたんだっけ?」ということが。実は脳がクラッシュしているのだ。日々の睡眠が Ctrl+Alt+Delete の役目を果たしている。
認知症とは、ファイルが失われてゆくことだ。そして挙げ句の果てには「システムのプロパティ」も表示しなくなった瞬間に「私」が「私」ではなくなる。
痴呆を生きる者も、その家族も、逃れることのできない現在と、時間の彼方に霞んで見える過去とを、いつも往還している。今を過去が照らし、過去を今が彩(いろど)る。
家族が認知症になった場合、一方通行の関係性となることを覚悟する必要がある。もちろんコミュニケーションは可能なのだが、介護する側の覚悟として相手に見返りを求めるべきではない。「育ててもらった恩を返す」といった発想も不要だと私は思う。恩返しの根っこにあるのは経済性である。もっと淡々と寄り添うことが望ましい。「ま、病気だから、しようがねーわな」というくらいの積極的な諦観、能動的な肯定から介護に臨みたい。
もの盗られ妄想は、争えば必敗の形勢を察知した者の、つまりは弱者からの訴えあるいは反撃であった、とみることができる。
認知症患者の奇異な行動が、実は文化的な影響に支配されており、日本人の場合「もの盗られ妄想」は女性に多いそうだ。「ヘルパーが家の物を持ち去った」という話は私も実際に聞いたことがある。
ただ、これを過去の関係性に原因があるとするのは甚だ疑問だ。そうしたケースもある、という程度にとどめておくべきだろう。「寄り添う」ことと「肩を持つ」こととは意味が異なる。小澤は自分が話を聴いてあげたことで、患者の病状が落ち着きを取り戻したことを過大評価しているように感じた。心療における因果関係は特定することが難しい。まず、眉に唾してみるのが当然である。
一方、男性の場合、激しい嫉妬感情が目立つという。妻を所有物と考える男性の思考が垣間見える。
また、「病気とはいえ、嫉妬するということはご主人があなたを女としてみているということでしょう」といってみたが、「私は結婚して以来、女として扱われたことがない」とすげなかった。
小澤のアドバイスは致命的だ。ここに超えられない医師と患者の立場が露呈している。
私が本書を読んで違和感を覚えてならなかったのは、小澤の立ち位置である。書いてあることは理路整然としていて極めてまともである。では何が書かれていないのか。著者は自分よりも立場が下の人、例えば患者やナースや事務員や患者の家族から何かを学んだ形跡が全く窺えないのだ。その隠された傲慢の臭いが、ページのあちこちから漂ってくる。
医師としてはきっと真面目な人物だったのだろう。しかし人間として見た時に、私はさほど魅力を感じなかった。
最後に認知症患者と接する際に私が気をつけていることを箇条書きにしておく──
・話し掛ける際は、必ず名前を呼ぶ。
・相手の話に大きく相槌を打ち、必ず同意する。
・敬語を使う。認知症患者は自分に敬意が払われているかいないかに敏感である。
・大きく頷く。ボディランゲージとして。
・ジャンケンができるかどうか確認する。チョキができれば指の運動機能は侵されていない。
・身体に触れる。手を握る、背中を軽く叩くのが効果的。
・重度の症状となる「痛い」「熱い」を連発するが、これを否定しない。
・相手が怒り出したら、ひたすら謝る。
・否定的な言葉を使わない。
・話をしてくれたら、「教えてくれてありがとうございます」と伝える。
・別れる際は握手してから、手を振る。
尚、認知症というのは最初に家族の前だけで現れることが判明している。ここで外に出すことを恐れて家に閉じ込めておくと症状が一気に悪化する。初期症状の場合、お客さんを招くとよい。家ではおかしなことばっかり言ってるのに、デイサービスに行くと普通になる人も珍しくない。生活範囲を狭めると、あっという間に寝たきりとなる。