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「サイゴンでの処刑」

サイゴンでの処刑」(General Nguyen Ngoc Loan Executing a Viet Cong Prisoner in Saigon)と題されたこの写真は、1968年2月1日、AP通信エディ・アダムズ(Eddie Adams)によって撮影された。テト攻勢の最中、サイゴン警察が捕虜として捕らえた南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の兵士、グエン・ヴァン・レム(阮文歛)は記者たちの前に引き出された。当時ベトナム共和国警察庁長官であったグエン・ゴク・ロアン准将は個人所有していたリボルバー銃を引き抜き、これを射殺した。


 この射殺された士官が何者であるかについては議論がいまだにあり、グエン・ヴァン・レムもしくはレ・コン・ナであるとされ、両者ともテト攻勢下のサイゴンにて戦死した。双方の遺族とも、各々がこの写真の人物に酷似しており、断定はできないと証言した。


 その光景は、AP通信カメラマンのエディ・アダムズ及びNBCニュースのテレビカメラマンらによって撮影され、全世界に配信された。配信された写真とフィルムはベトナム戦争における最も有名なイメージの一つとなり、ベトナム戦争への介入に対するアメリカの世論に多大な影響を与えることになった。 写真を見たオーストラリア出身の従軍記者パット・バージェスは再び戦場へと戻ったという。


 南ベトナム側は、グエン・ヴァン・レムが彼の副官のみならず、無抵抗な家族やそのペットをも殺害した残虐なベトコン内の死の部隊の指揮官であり、その処刑は正当なものであると主張した。同側は、レムは警察官及びその親類が縛られ射殺された34体の死体遺棄現場にて逮捕され、その死体の内、数体はロアンの副官もしくは親友の子供であり、その内6名はロアンによる名づけ子だったとした。カメラマンであるアダムズは南ベトナム側の報告を確かめたが、彼は処刑のために居合わせただけだった。未亡人となったレムの妻は、夫がベトコンのメンバーであるとこと確認しており、テト攻勢の後は夫と面会していない。処刑の直後、処刑に立ち会わなかった南ベトナム政府高官は、ロアンはただの政治従事者であると発言した。


 一部の評論家は、ロアンがとった行動は捕虜の取り扱いに関するジュネーヴ条約を破ったと主張する。ベトコンに対し、捕虜としての地位の権利が適用されるのは、彼らが軍事作戦の間に捕らえられた場合にのみである。捕らえられた男は制服ではなく私服であり、ベトナム人民軍ではなく制式化されていないベトコンのメンバーであり、実地経験はあるがゲリラであるとみなされ、射殺は合法と弁護する向きもある。一方、射殺される前にすでに武装解除されて拘束されているため、これを裁判にかけずに[要出典]射殺することは南ベトナムでも(建前にせよ)明確な違法行為である。


 エディ・アダムズはこの写真(「サイゴンでの処刑」)で1969年度ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門を受賞している。


 その後、アダムズは自身の写真によりロアン准将の世評を傷つけたことに対し、個人的に謝罪した。その死に際し、アダムズは彼をこう称賛した。「その男は英雄であった。アメリカは涙を流さなければなるまい。私は人々が彼に関し何も知らずして、彼が死にゆくのをただ見たくはない」。


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