古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『青い空』海老沢泰久

『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『勝海舟』子母澤寛

 ・『青い空』海老沢泰久

『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登
『黄金旅風』飯嶋和一
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『氷川清話』勝海舟
『海舟語録』勝海舟


キリスト教を知るための書籍


 土曜日一日で600ページまで読んで、100ページだけ残しておいた。読み終えるのが惜しかったからだ。歴史小説をこれほど堪能したのは飯嶋和一以来か。傑作と言っておこう。


 日本の宗教史を縦糸に、幕末の日本を横糸にして編まれた見事な物語。ちょうど巻半ばで登場する勝海舟と主人公とのやり取りが圧巻。あまりにも鮮やかな輪郭に、活字の間から勝海舟が立ち上がってくるほどの臨場感を覚える。勝の小気味いい江戸っ子言葉と併せて、私が住んでいた江東区界隈の地名がたくさん出てきて、何とも言えない親しみを感じた。


 やはり、歴史を学ぶことが大切だ。歴史の底に流れ通う“人々の苦しみ”に思いを馳せる時、必然的な“未来の果”が浮かんでくる。


 徳川幕府が行った寺請制度(=檀家制度)は、キリシタン日蓮不受不施派の弾圧が目的だった。続いて、四代将軍徳川家綱が諸宗寺院法度を発令し、布教を禁じた。こうして、葬式仏教が誕生する。江戸時代は全国各地に関所が設けられているため、寺請証文がなければ旅をすることもかなわなかった。

 以後、すべての百姓と町人はこの寺請証文を毎年奉行所に提出しなければならなくなり、提出しない者はキリシタンと疑われた。武士の場合は藩主が監督したが、自分が仏教徒であることをつねに知らしめておかなければならないことは百姓町人と同様で、信心を証明する寺参りは彼らにも欠かせないものになる。そのため、これ以後は、すべての日本人が、信仰心とはかかわりなく、必ずいずれかの寺院の檀家にならなければならなくなったのである。
 それにともない、葬儀の形も変化した。それ以前は、必ずしも僧侶が立ち会ったわけではなく、親類縁者が集まって村の墓地に埋葬し、旅の僧などが村を訪れたときに経を上げてもらうというのが一般的だった。しかしこれ以後は、すべて檀家となった寺院の僧侶が執りおこなうようになるのである。むろん、それには多大な出費をともなったが、檀家は寺請証文を出してもらう手前、ことわることができなかった

 しかも常念寺が百姓から銭をとるのはじつに簡単だった。布教はもちろん、法話をする必要も、経を上げる必要も、頭を下げる必要さえなかった。寺請証文を書かないとだけ匂わせれば、それでいくらでも必要なだけ銭が集まったのである。中根村の百姓たちはその常念寺に対し、キリシタンであることを知られないために、他の二村の百姓たちよりいつも多額の寄進をしなければならなかった。


 その上、キリシタンは転向しても尚、子孫までもが監視対象となった。

 藤右衛門は136年前の享保12年(1727)に転びキリシタンとなった武右衛門の長男の惣右衛門から数えて5世代目、甚三郎も同じときに転んだ百姓の5世代目の子孫であった。彼らは176年も前の貞享4年(1687)に出されたキリシタン類族令によって、いまだにキリシタン類族として監視されており、藩外に出ることは許されず、結婚をするときでも、奉公に出るときでも、届け出て移動先をつねにあきらかにしておかなければならなかった。むろん近隣の村からは村八分同然に扱われており、桜川から田に引く水も、他村の百姓が十分に引き終わったあとからでなければ引くことができなかった。

 甚三郎はキリシタン類族であった。キリシタン類族の者は、幕府の許可がなければ、葬儀も埋葬もできなかったのである。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「坊主丸儲け」「地獄の沙汰も金次第」などといった言葉は、多分この時期につくられたのだろう。


 秀吉・家康に始まるキリシタン弾圧が鎖国につながり、幕府の宗教統制が寺請制度を生み出し、寺院は権力の出先機関と化した。結局のところ、傲慢の限りを尽くした坊主どもに対する反感が、幕末明治の廃仏毀釈運動に発展し、日本から宗教を奪い去ったのだ。

「ほう。おまえさん、連中に同情して帰ってきたか」
 勝海舟はいった。
「連中の受けた拷問の様子をきいたら、同情もしたくなります。竜造さんは、今後は神も仏も信じないことにしたそうです」
「おそろしくなったか」
「いえ、そうじゃござんせん」
 竜造はいった。
「神や仏を信じて、キリシタンだ何だと役人にこづきまわされるのはいやだと思っただけのことです」
「どっちでも同じことだ」
 勝海舟はいった。
キリシタンでも何でもいいが、公儀にかぎらず、お上というものが宗教を取り締まるのは、それを見せしめにして、人民をみなおまえさんのような考えにさせるのが目的なのさ」
「どうしてです」
「人民が、みな死ぬことはおそろしくないなどといいだしたら、お上のいうことをきかせられなくなるじゃないか。死ぬのがおそろしくない人間ほど面倒な人間はいない。だから、おまえさん、そんなことじゃ駄目だよ」


 宇源太は江戸に出て数年で大きく成長した。果たして幼馴染みが見たがっていた「青い空」を見ることはできただろうか。ラストシーンは簡単に予想できたが、それでも胸がキュンとなるほどの希望が託されている。