・胸打たずにはおかない人生模様の数々
・あやまちのない人生は味気ない
・つつましい落魄
本のタイトルは「にちにちへいあん」と読む。11篇が収められた短篇集。武家もの、人情もの、滑稽もの、推理ものなど、実にバラエティに富んだ内容。四十半ばを過ぎて、しみじみと心に感ずる世界がここにはある。人生の辛酸を舐めた分しか、周五郎の作品は味わえないのかも知れぬ。
水戸梅譜
父子二代にわたる壮烈なまでの忠義。「仕(つか)える」ことは一切を投げ捨て、主君に全てを捧げる人生を意味した。私心を消し去った向こう側に、確固たる生涯の目標がそびえ立つ。
木村久邇典(きむら・くにのり)の「解説」によると、「『少なくとも戦前の作品は、大部分は破棄してしまいたい』という作者が、『日本婦道記』とともに、これは例外的に残しておいてもよい、とする自信作」とのこと。
嘘アつかねえ
擦れ違うような出会いを通して、人生の哀感を浮かび上がらせる。貧しくとも、必死で生きる庶民の逞しき姿。屋台の爺さんが見事なアクセントとなっている。
日日平安
冒頭のやり取りに腹を抱えて笑う。切腹という差し迫った場面が尚のこと笑いを誘う。調子のよい浪人だが、どこか憎めないところがある。
しじみ河岸
推理もの。貧しい下町の荒(すさ)んだ雰囲気を子供の科白で見事に表している。それでいて笑わせるのだから凄い。「あたしはもう、疲れました。しんそこ疲れきってました」というお絹の言葉が律之輔の胸に突き刺さる。
ほたる放生(ほうじょう)
ミステリ色の濃い作品。情夫と手を切れない遊女。漂流する男女関係。遊女に言い寄る客。一つの伏線が明らかになるや否や、事態は急変する。
末っ子
法廷ミステリーのような出だし。主人公に対する一族の評価が証言の如く並んでいる。これがまた一々面白いのだ。特に父親の評価には大笑い。立場によっても評価がまるで異なっている。そして、主人公・平五のあたふたする様子が実に小気味よく、姉の口出しの仕方も絶品。親兄弟と上手くゆかない末っ子が胸に秘めてきた思いが鮮やか。甘酸っぱい恋の話も絡めて、最後はめでたしめでたし。
屏風はたたまれた
ファンタジーの部類である。それにしても周五郎の多彩な技に圧倒される。
橋の下
実はこの作品を読むのが目的だった。あらすじはわかっていたのだが、それでも心を打たれる。偶然の出会い。乞食同然の暮らしをしている老人は、淡々と落魄(らくはく)の理由を語った。老人は恋に勝って人生に敗れた。老人は自分を責め、妻もまた己を責めた。「だって、友達だもの」――老人はその友達を裏切った。だが、深き悔恨が人生の何たるかを悟らせた。老人は若侍を救った。傑作である。
若き日の摂津守
これまたミステリー。スパイものと言ってよし。劇的なラストシーンにカタルシスを覚える。
失蝶記
陰謀もの。プラス手紙小説。謀略の犯人は「佐幕」という思想であった。
以上、寸評となってしまったが、物語を堪能したい人は、迷うことなく本書を求めるべきである、と断言しておこう。
・山本周五郎
・人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ