古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

時代の闇を放り投げた力士・雷電為右衛門/『雷電本紀』飯嶋和一

『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一

 ・時代の闇を放り投げた力士・雷電為右衛門
 ・力士は神と化した
 ・「拵(こしら)え相撲」に張り手を食らわせた雷電為右衛門

『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『始祖鳥記』飯嶋和一
『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一


 今月の課題図書。今をさかのぼること250年前、天下無双の強豪力士がいた。その名、雷電為右衛門(らいでん・ためえもん)。身長は6尺5寸(197cm)、体重46貫(172kg)と伝えられる。ペリーが黒船に乗ってやって来る半世紀ほど前のこと。長らく続いた江戸時代は腐臭を放っていた。民という民は貧困によって力を奪われていた。


 当時、相撲人(すもうにん)は藩に召し抱えられていた。相撲籤(くじ)があり、庶民にとっては博奕(ばくち)の対象でしかなかった。拵(こしら)え相撲(=八百長)が横行し、土俵上でぶつかり合っているのは諸藩の小さな面目でしかなかった。


 そこに化け物が登場した。もはや今までの相撲ではなかった。力任せに投げ飛ばされた力士は負傷した挙げ句土俵に上がれなくなった。腐り切った談合社会が揺れた。加減を知らぬ若造を戒める必要があった。「大人のルール」ってやつだ――

「……この鰍沢の後は、皆、大坂へ上らねばならぬ。お前が巡業に加わってからというもの、柏戸までが妙な具合になって、気を入れすぎる。東方の他の相撲人も、こんな調子では、とても土俵に上がれんと言っておる。何も『拵え相撲』を取れと言っておるのではない。お互い生身の身であるのだから、江戸、大坂の大相撲とはまた別の、技量をお互い磨き合うための稽古相撲にとどめてはくれぬか。このままでは、相手方が嫌がり、これから先々お前は相撲をとれなくなる恐れもある」
「それならそれで仕方ございません」
 目を伏せて聞いていた雷電がまっすぐに黒目がちの細い目を上げ、落ち着いた声できっぱりと言い放った。
「あえて申し上げますが、相撲は手に何ももたず、何も身につけず、生まれたばかりの赤子同然で取るものでございます。世人が身に帯びたありとあらゆるもので渡りをなすのと異なり、相撲人はそれらの一切をはぎとり、残ったこの身だけで勝ち負けを競うものであります。身分も家の財も、生まれ育ち、学才や素養、ありとあらゆる世俗の衣を脱ぎ捨て、最後に残った己が身での勝ち負けでございます。他に何らの助け太刀も望めず、相手もわが身も生まれたばかりの赤子同然、素手で立ち向かわざるをえません。相撲場の外とは異なり、何もごまかしようがないのでございます。己れと己れ、むき出しの戦(いくさ)かと存じております。そのため、日夜、己れを虚しくして身を鍛え、心を砕き、修羅さえ燃やして精進しておるのでございます。
 わたくしの在所には父と母、生まれたばかりの妹がおるだけでございます。本来なれば、この地で相撲を取っていること自体、不可思議なことで、在所で田畑を耕すのが生業(なりわい)。何の縁(えにし)か、父と母を、田畑を、過ごすべき家を捨て、この身一つ、わずか径十三尺の土俵にのみ生きる場を許されておるだけでございます。これは、いわば天命。おそらくは何人たりとも奪うことは出来ますまい。
 相手方の相撲人もおそらくは同じことでございましょう。たとえ花を得るための課役(かやく)相撲、稽古相撲の類ではあっても、三都の大相撲の土俵であってもその大きさが変るものではありません。手心を加え、猿芝居もどきを演ずるために、土俵へ上がることは、相手方に対しても無礼。何の恨みも相手方には抱いておりませんが、相撲(すも)うた結果、どのような事態に至りましても、双方その覚悟にてまみえ、相搏(あいう)つのが本願。生半可に手心を加え、それがゆえに傷を負い、再び土俵にあがれぬ、あるいは死に至るようなことが起こりましたならばうしろめたさばかりが残りますが、双方身一つ、素手で渡り合い、死力を尽して攻防を繰り出した結果であれば、どのような結果が訪れようと、己れ自身にもまた相手方の相撲人に対しても、何人に対しても、悔いはあっても、うしろめたさはございません。
 申し上げることは、それだけでございます。どうかお引きとり下さい」
 一瞬、その米問屋方では誰もいないかのように虫の声ばかりが響いていた。襖を隔てた隣室から、柏戸が「お見事」のかすれ声とともに手をたたくまでの間。


【『雷電本紀』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1994年/河出文庫、1996年/小学館文庫、2005年)】


 若き雷電八百長を言下に拒んだ。所詮、「戦っているもの」が違った。多くの力士が政治に屈する中で、雷電は相撲に魂を吹き込んだ。一人の青年が真剣に立ち上がった時、並居る力士の姿勢が変わった。相撲は生死を懸けた真剣勝負となった。


 飯嶋が描く世界には必ず二人の主役がいる。そして二つの人生が山河を越えて交錯する様を劇的に捉える。人と人との出会い、そして人から人へと流れ通う魂を炙(あぶ)り出す。本書は長篇ではあるが、まるで短篇の連続技のようにも読める。それほどまでに圧縮された濃厚な味わいがある。


 描かれているのは相撲だけではない。農民による打ち毀しに始まり、芸妓の世界、そして終盤は一気に政治・経済へと筋運びは傾く。


 雄勁(ゆうけい)な文章が胸を打ってやまない。「心の深さ」にたじろぎを覚えるほどだ。浅間山の噴火を鎮(しず)めた神の如き力士の晩年は不遇であった。だが決して不幸ではなかったはずだ。雷電は死ぬまで雷電であった。彼が投げ飛ばしたのは「時代の闇」であった。


力士は神と化した
Wikipedia
力士「雷電為右衛門」の略年譜
【大相撲豪傑列伝】史上最強の怪物 雷電為右衛門
天下無双の名力士「雷電為右衛門」
郷土の偉人:力士「雷電為右衛門」とは
雷電為右衛門の碑
雷電為右衛門の墓
乃木神社の近くで見つけた最強力士・雷電為右衛門の墓
「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事/『晏子』宮城谷昌光