忌々しい女性政治家


 もう20年ほど前になると思うが“脱・らしさ”論なるものが出回った。父親らしさ、子供らしさなどが鋳型(いがた)となってしまい、強いストレスと化す。「こう、あらねばならない」的な発想から鬱病になる人が目立ち始めた頃の話だ。


 要は、“自分らしさ”を追求すればいいという具合だったが、私はどうも腑に落ちなかった。規範を見失った社会はバブルに突入し、蓋を開けてみたらわけのわからん風体をした女子高生が街を徘徊するようになっていた。


 女性政治家という言い回し自体が既に差別用語といっていいだろう。男性政治家という言葉はないからね。女性が政界へ進出するのは大いに結構なことだと思う。全員が女性になってもらっても一向に構わない。男性よりも平和主義だし、そもそも女性の方が言語能力が優れていると考えるからだ。


 私が忌々(いまいま)しく感じてならないのは、北条政子ヒラリー・クリントンのような、権力に野心を燃やすタイプの女性だ。野田聖子あたりがその典型。小生意気な顔をブラウン管越しに見るだけでイライラしてくる。そうそう、辻元清美にも全く同じ臭いを感じる。辻本の場合、極左という話もあるぐらいだからもっと厄介だ。


 どんな世界でもそうだが、女性が野心を燃やすと“男”になってしまう。権力欲の強い人間は“傲り”と“嫉み”の間を揺れ動く。かような女どもにとっては、一挙手一投足に至るまで何らかの計算を働かせている。泣いたり、笑ったりなんてお手のものだろう。彼女達にとっては、“自分がどうあるか”よりも“他人にどう見えるか”が最大事なのだ。年を重ねた挙げ句に扇千景のようなご面相になることはハッキリしている。


 忌々しい女が政界から一人でも少なくなるよう祈るのみだ。