古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ジャーナリストが政治のプレイヤーになってしまう

 ならば、政治記者は一体、何をしているのだろう。政治部記者の中には「派閥記者」と呼ばれ、事実上、政治のプレイヤーになってしまっている者がいる。最近は少なくなったが、かつては並の政治家よりも実力のある記者が存在し、彼らは、自らの所属するメディアを利用して政局をつくるようなことを平気で行っていた。
 政治家同士を繋ぐために極秘の会合をアレンジしたり、一部の政治家の側について政敵を追い落とすためにネガティブ情報を流したり、そういったフィクサーまがいの行いを繰り返す記者が後を絶たなかった。一方で、彼らの応援する政治家のネガティブ情報が出ることはまずない。あたかも、そした政治記者たちは、担当した政治家を出世させ、永田町の権力闘争に勝たせるために存在しているかのようだ。なぜなら、彼らの出世もまた、担当した政治家の動向に大きく影響されることが多いからだ。
 たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺(うかが)う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。逆に、その政治家が失脚してしまえば、記者も会社での地位を失うことになる。


【『ジャーナリズム崩壊』上杉隆幻冬舎新書、2008年)以下同】

 つまり、オブザーバーではなく、政治に寄り添うプレイヤーになっていくのである。
 電話一本で、時の首相や官房長官までを動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二(えびさわ・かつじ)記者(同じくのちに会長)などがまさしくその典型である。そうした状況は現在でもあまり変わっていない。
 安倍政権崩壊時に、そのブログで自身の失意を綴(つづ)った阿比留瑠比(あびる・るい)記者や、内閣退陣で涙を流した元共同通信青山繁晴氏などは、政治権力との距離感を忘れた派閥記者といえる。


ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)