宮元啓一、後藤正治、クリシュナムーティ


 1冊挫折、2冊読了。


 挫折15『インドの「二元論哲学」を読む イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』宮元啓一(春秋社、2008年)/「クリシュナムルティは決して新しいことを語っているわけではなく、サーンキヤのパクリに過ぎない」といった趣旨のことを和尚ことバグワン・シュリ・ラジニーシが書いているそうだ(『瞑想 祝祭の芸術』めるくまーる、1981年)。で、確認しようと思ったのだが、ダメだった。どうにもこうにも退屈だ。昔話としか思えない。わかっている。私に堪え性がないだけの話だ。


 31冊目『遠いリング』後藤正治〈ごとう・まさはる〉(講談社、1989年/岩波現代文庫、2002年)/渋好みのノンフィクション。グリーンツダジムのボクサーの群像を描いている。私が名を知っていたのは井岡弘樹と伝説の名トレーナー、エディ・タウンゼントの二人のみ。後は殆ど無名のボクサーだ。後藤が描いているのはボクシングジムに手繰り寄せられ、去って行った青春の数々である。まるでパンチとパンチが交差するように勝者と敗者が行き交い、ある者は光を浴び、ある者は故郷に帰ってゆく。遊びたい盛りの10代の少年達が、なぜストイックな世界に魅了されるのか? 激しい練習を経て、苛酷な減量に耐え、生活の不如意を忍びながらも彼等は拳を突き上げる。その手に握られたものと、拳の向こうにあるものがほんの少しだけ垣間見える。


 32冊目『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ/十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳(霞ケ関書房、1970年)/クリシュナムルティ23冊目の読了。訳文が硬い。目立っておかしなところはないのだが、クリシュナムルティの人柄が全く浮かんでこない。まるで教科書みたいな文体だ。時々既に読んだことのあるような箇所が出てくるのだが、文体が異なっていることもあって思い出せなかった。それはそれで新鮮だ。後半になるほど凄まじい深みをまさぐっている。『既知からの自由』大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2007年)の旧訳。