古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ファシズム全体主義を徹底的に糾弾する一書/『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー

 ドラッカーの処女作である。書き始めたのはヒトラーがドイツ首相となった直後のこと(1933年2月)。ドラッカーは23歳だった。書き上げた後も原稿を温めていた。ドラッカーの予測は次々と的中した。こうして1939年(昭和14年)に刊行されベストセラーとなった。イギリスのウィンストン・チャーチルが最初に書評を書き「タイムズ」で激賞。後に首相となったチャーチルはイギリス軍士官学校の卒業生に与える支給品の中に本書を加えるよう指示した。


 本書は、第二次世界大戦に先駆けて発行された。翌1940年にはパリが陥落。連合国側ではイギリスが最後の砦となった。ということは、20代の無名の青年がファシズム全体主義を徹底的に完膚なきまでに打ちのめした本書によって、連合国側の大義名分を力強く支えた可能性がある。「正義によって立て、汝の力二倍せん」(ブラウニング)。


 正直言って歯が立たなかった。何度か読み直すことが必要だ。世界大恐慌から第二次世界大戦という混乱の中からファシズム全体主義は生まれた。そして今再び、世界が経済的なダメージを受けている。70年後の今こそ本書は読まれるべき傑作である。

 本書は政治の書である。
 したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。本書には明確な政治目的がある。自由を脅かす専制に対抗し、自由を守る意思を固めることである。しかも本書は、ヨーロッパの伝統とファシズム全体主義との間にはいかなる妥協もありえないとする。


【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー/上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社、1958年)以下同】


 ドラッカーは烈々たる決意を披瀝している。彼は19歳の時、ナチスが台頭するドイツにいた。若く澄んだ瞳でファシズムが産声(うぶごえ)を上げる様子を見つめていた。それどころか、ドラッカーは同僚記者からナチス入党を勧められた。編集長という好条件つきで。その直後にドラッカーはドイツを脱出する。そのころ既にナチスを批判する記事を彼は書いていた。

 なぜ民主主義諸国は自らの信条のすべてを脅かす重大な脅威を抑制できないのか。臆病だからではない。ファシズム全体主義との闘いのためにスペインで命を捧げた数千の労働者、追悼の歌さえないドイツとイタリアの無名の地下運動家など、英雄的行為は確かに存在した。勇気がファシズム全体主義を止められるものならば、それはとうの昔に止められていたはずだった。
 ファシズム全体主義の脅威に対する闘いが実を結んでいない原因は、われわれが何と戦っているかを知らないからである。われわれはファシズム全体主義の症状は知っているが、その原因と意味を知らない。ファシズム全体主義と闘う反ファシズム陣営は、自らがつくり出した幻影と闘っているにすぎない。
 この無知が原因となって、民主主義国の中に、ファシズム全体主義の過激さは一過性のものにすぎないとの見方が生まれ、さらにはファシズム全体主義そのものも永続しないとの錯覚が生まれている。そしてこの両者が相まって民主主義勢力を弱体化している。したがってファシズム全体主義の原因の分析こそ緊急の課題である。


「知は力」「学は光」というが、これほど骨太の知性を私は見たことがない。ドラッカーファシズム全体主義と同様に、マルクス経済主義もこてんぱんにこき下ろしている。


 ドラッカーは徹底して「社会」を見つめた。歴史や世界を「人々の動き」から読み解こうとした。ファシズム全体主義の目的は“体制の維持”であり、そこに“社会の発展性”は欠落している。目的地は不問に付され、ただ“走ること”が求められる。


 ドラッカーヨーロッパ史をひもとき、宗教に言及し、抑圧された大衆がイデオロギーに翻弄される様相を炙(あぶ)り出す。戦後、50年を経たとしても、これほどの書物を著すことのできる人物がいるだろうか? それを開戦前に、しかも20代の青年が著したのだ。


 ドラッカーによれば、13世紀には「宗教人」なる概念の崩壊があり、16世紀には「知性人」なる概念の崩壊があったとしている。そして、20世紀から21世紀にかけて「経済人」なる概念が崩壊しつつある。新しい時代は、情報を価値にできる人=知恵人が求められているように私は思う。


 追伸――表紙は金縁にしておきながら、中身は紙質の悪い紙を使用していて、「名著集」に相応しくない。ダイヤモンド社のあざとさが丸出しだ。本の作りからいえば、1500円でも高いと思う。それと、引用文でもないのに段落下げをする意味が理解できない。