辛淑玉による公明党批判/『怒らない人』辛淑玉


 根本的に勘違いしている主張のオンパレードだが、公明党批判は的を射ている。例えば、浜四津敏子代表代行についてこう書いている――

 たとえば、盗聴法に反対して闘っているとき、公明党浜四津敏子代表代行は、集会で最初わたしの傍で威勢良く反対を叫んでいた。その筋の通った内容だけではなく、権力に対峙するその姿勢が何よりもかっこよかった。
 私はそれがうれしかったし、ほんとうに期待していたのだ。(中略)
 ところがその翌日、公明党は何の説明もなく、反対を撤回したのだ。敵の本丸から自民党の強者たちがずしりと動き出したとたん、あっという間に方針転換して、浜四津氏は盗聴法反対の戦列から消え去ってしまった。
 当初、鮮烈な反対の声をあげていた彼女の姿は、一般の人々の脳裏に焼きついただろう。「ああ、やっぱり公明党は庶民の味方、正義の味方なんだ」と。
 しかし、党としての実態は決してそうではなかった。
 私には、いまでも、それが彼女自身の意思だったとは思えない。というのも、その後自民党の右傾化した議員たちによる男女共同参画つぶしの嵐が吹き荒れたとき、体を張って女性の側につき、女性の人権を守ろうとしたのは浜四津氏だったからだ。


【『怒らない人』辛淑玉〈しん・すご〉(角川oneテーマ21、2007年)】


 抑制された筆致が、節度ある批判となっていて好ましい余韻を残す。辛淑玉浜四津敏子を信頼すればこそ、書かずにはいられなかったのだろう。組織型政党は個人の自由を奪う傾向が強い。政策は是々非々で論じるべきものであると思うが、政党政治は結局のところ、党利党略を優先して大を取って小を無視するようになりがちだ。


 公明党に関しては、与党入りすることで独善的な宗教政党から成熟段階に入ったと見ることもできる。とはいうものの、本質的にはキャスティングボートとしての存在感しか評価されていない。仏教思想の「中道」もまったく生かされておらず、論語の「中庸」的な中途半端さが目立っている。


 国民政党を目指すのであれば、創価学会と距離を置くことが望ましいと考える。


怒らない人 (角川oneテーマ21)