・政治的受益者の地位に甘んじるな
・多党制と連立政権
・正しい多数決原理とは
・自信のない政治ほど強権を用いやすい
ここ最近、紹介しているものは、いずれも二十歳(はたち)の頃に読んだ書籍である。やはり、若き日の鮮烈な感動は、世界を押し広げる度合いが違う。心の打たれ方が激しい。
人間の能力は、年ごろになって自然と顔にあらわれてくるにきびのごとく、放っておいても出てくるという性質のものではない。放置しておけば、あるいは終生、自他ともに認めないまま、体内に潜伏したままであるかもしれないのである。こうした潜在する可能力を自発させる契機となるものが、国民主権、すなわち自治の原理である。その意味で、人間が受益者の地位に甘んじているかぎり、潜在力の開眼は難しいといってよかろう。国民のひとりひとりが、もし、みずからの可能力の開眼に成功するならば、それは、かれ個人にとってのプラスであるばかりではなく、社会や国家全体の底力が増大する。そうなったとき、はじめて民主主義は、抽象的な観念であることをやめて、具体的な効用を証明するだろう。
するってえと、日本の民主主義はまだまだお題目のレベルに過ぎないってこったな。国家予算の分捕り合戦は省益を目的としているわけだし、親方日の丸からの仕事にありつこうとする連中は随意契約で美味しい思いをしている。企業が政治献金を惜しみなく支払うのも、より大きな利益のための投資であろう。
そして我々国民は、自分が住む地域の道路が拡幅され、ドブの上に板が渡され、街頭を設置してくれれば満足を覚える。結局、民主主義が自分中心主義に変質しているのだ。
一方、このテキストは確かに正しい意見なのだろうが、成熟した民主主義の姿がどのような姿になるのか、まるで見当もつかない。その功罪すら想像できない。なぜなら、我々国民が「町内」以上の立場でものを考えることができるとは思えないからだ。つまり、政治を変えたいと願うのであれば、まず国民が変わる必要があるってことなんでしょーな。この発想の転換が難しい。