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官制経済体制の打破こそ真の構造改革/『日本が自滅する日 「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』石井紘基

「日本病」の正体 石井紘基の見た風景

 ・官制経済体制の打破こそ真の構造改革


 石井紘基が生きていれば、私はきっと会いに行ったことだろう。権力の厚い壁を前にして、たった一人で何度も体当たりを食らわせた男だ。そして遂に風穴を空けた。特別会計の存在を明るみに引きずり出し、特殊法人公益法人という魑魅魍魎(ちみもうりょう)を衆目の前にさらした。


 平成19年度(2007年)の歳出を見てみよう。一般会計が81.8兆円、特別会計が353.3兆円となっている(※100億円以下は四捨五入した。データは統計局ホームページによる)。特別会計とは各省庁が行っている事業のための予算である。「一般会計における単一予算主義の原則に対する例外」(Wikipedia)という位置づけでありながら、一般会計の4倍以上の巨額となっている。


 話を単純にしてみよう。お父さんの年収が800万円だとする。お母さんはかつて存在したことのない美貌を保つためにエステに通っている。子供達も塾や習い事で忙しい。こうした支払いが毎年3500万円ほどになる――つまりは、こういうことじゃないのか?


 国家予算は国会の議決で決められることが憲法で定められている。仮に予算を小遣いと考えてみよう。これを使うのは官僚である。小遣いが親の言う通りに使われることは、まずない。実際、子供であっても金を手にした途端、暴君のように無駄遣いをするケースが殆どだ。


 子供の場合は大した問題とならない。一つは少額であるために。そしてもう一つは、何に使おうともそのお金は経済市場に流通するからだ。


 石井紘基は、政官業の癒着構造が日本経済を機能不全に陥(おとしい)れていると糾弾している。政治家は票を獲得し、官僚は天下り先を確保し、企業は公共事業で一儲けというわけだ。


 租税の大きな目的は「富の再分配」にあるはずだ。ところがどっこい、政官業オールスターチームは血税で私腹を肥やしていた。富は、富を持つ者に再分配されていたってわけよ。しかも昨今の企業会計内部留保に努めているから景気が浮揚する材料とはならない。貧富の二極化を推進したのは族議員と官僚だった。

 いま為さなければならない真の構造改革とは何か。
 それを論ずるには、まず、今日わが国が直面している経済、財政、社会の危機をもたらした要因は何か、について正しい認識を持つ必要がある。この30年間にわたってわが国に浸透し、遂に体制を支配するに至った“官制経済”のシステムこそが、その要因である。
 官制経済体制とは、中央集権、官僚制、計画経済、そして閉鎖財政(国民に見えない財産)を基本構造とする国家の類型である。官制経済体制の下では基本的に経済は権力に従属するため、本来の経済(=市場)は失われる。
 したがって構造改革の目的はただ一つ、国家体制を官制経済から市場経済に移行させることである。経済を権力の浸蝕から解放し、経済(=市場)のものとするのである。
 利権を本質とする官制経済体制を形成する要素は次の四つである。第一に行政が「公共事業」および「経済振興」を展開する“政策”、第二に開発法、振興法、整備法、事業法、政省令、規則、許認可等からなる“法制度”、第三に補助金特別会計財政投融資計画で構成される“財政制度”、そして第四に特殊法人公益法人、許可法人など官の企業群を擁する“行政組織”だ。
 以上の“政策”“法律”“会計”“組織”の四本柱はすべて各省庁の縄張り(所管)となり、それぞれに連なる政治家があり、政治的“力関係”によって機能するのである。これがまぎれもないわが国官制経済のトータルシステムなのである。


【『日本が自滅する日 「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』石井紘基〈いしい・こうき〉(PHP研究所、2002年)】


 石井は政治の暗部に切り込んだ。そして殺された。明らかな見せしめであろう。それが証拠に、石井の後に続く政治家は見当たらない。民主党もその後沈黙を保った。


 石井の文章は非常にわかりにくい。複雑怪奇な政治システムの現状もさることながら、一人で情報収集してきた限界が見受けられる。それでも、始めの50ページほどを読めば、驚くべき事実を次々と読者に突きつけ一気に読ませる。


 石井が殺されて、胸を撫で下ろしている連中が間違いなく存在する。その連中が国家を私して崩壊に導くのだ。石井こそは憂国の士であった。石井の無念を想う。石井の無念をまさぐりながら、政治を厳しく監視してゆくことが国民に課せられた義務であり、国家の崩壊を防ぐ唯一の道である。明日は、衆議院選挙の投票日。


汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール