・政治的受益者の地位に甘んじるな
・多党制と連立政権
・正しい多数決原理とは
・自信のない政治ほど強権を用いやすい
25年以上前に読んだ本である。意外とすんなり読み終えたことに驚いた記憶がある。初版は1960年だから、私が生まれる前のこと。
自由民主党は1955年の結党以来、38年の長きにわたって一党支配を維持してきた。高度経済成長(1955-1973年)を経てバブル景気(1986-1991年)に至るまでは安泰だった。ところが、バブルが弾けて、国民が生活の中で景気悪化を実感するようになった1993年に潮目が変わる。
1993年6月18日、羽田派の衆院議員が宮沢改造内閣不信任案に賛成し、可決される。6月23日、羽田派は自民党を離党し新生党を結成。8月9日には非自民・非共産8党派による細川護煕内閣発足した。
1994年6月30日、野に下った自民党が奇策を仕掛ける。社会党の村山富一委員長を首班指名したのだ。これによって自民党は与党に返り咲く(自民、社会、さきがけ政権)。同年12月には新進党が結成されたが、1996年の衆院選で敗北を喫し、1997年12月に解散した。
1998年、自民党は社会党、さきがけとの連立を解消。その後、1999年に自由党、公明党との連立政権となった。2000年、自由党が離脱。自由党から分裂した保守党を吸収し、自公政権が現在まで続いている。
われわれは、むしろ、多党制と連立政権の方式をとることによって、政策の弾力性が発揮される長所を、もっと評価しなければならないと思う。異なった諸政党が、自党の基本綱領を将来のために維持しながら、現在の時点では最大限に可能な範囲で相互の主張を調整し、その時々における国民意思の最大公約数を盛りこんだ政策を形成してゆくことが、この方式の下では可能であり、同時に、この方式によって、多党間の利益を調整する政治技術が発達する。そこから生ずる政党間の取り引きや術策は、かならずしも常に非難の対象になるものではなく、むしろこうした技術は、それが腐敗臭を生まぬかぎり、あらゆる議会政治に固有の要件でもある。
本書を読んだ時、「連立なんて夢のまた夢だ」と思っていた。まして、政権交代が起こる可能性は皆無であった。
細川政権が誕生した時の興奮は今尚記憶に新しい。新進党は本当にもったいないことをした。本格的な二大政党制が始まることを、皆が信じて疑わなかった。野党となった自民は、なりふり構わぬ攻撃に徹した。きっと官僚の抵抗もあったことだろう。
私の基本的なスタンスを示しておこう。まず、政党政治に反対の立場である。しかし、反対したところでどうしようもない。次に、小選挙区制にも反対だ。これは死票が多すぎるため。そして、供託金を廃止し、選挙運動の戸別訪問を認める。ま、こんなところだ。
確かに、自民の一党支配よりは公明との連立の方が望ましい。だが、公明党はブレーキなんだか、下駄の雪なんだかがわかりにくい。
衆院選挙が今月行われるわけだが、不況下で与党が勝利することは考えにくい。しかし、民主党が勝ったところでバラ色の未来が待っているわけではあるまい。消費税アップや憲法改正といった大きなテーマが待ち受けている。
選挙というものは、勝てば官軍負ければ賊軍である。野党が有効に機能したという歴史も見受けられない。そこで私は提案したい。「超大連立」を。全部、与党になるのだ。時代遅れのプロパガンダ政党である共産党も含めて。日本の政治における野党にさしたる意味はないのだから、みんなで与党になればよい。その方が駆け引きもスムーズに行えるだろう。これなら、憲法改正も簡単だ。
その上で政党を解消し、緩やかな派閥とする。更に、派閥間の移動を自由にする。こうなると、政党政治の枠組はなくなり、政治は政治家個人に取り戻される。選挙民は、政治家がどの法案に賛成し、どの法案に反対したかで判断すればよい。そして、「マイナス投票」を認める。
たったこれだけのことで、民意は反映できる。ってことは今の政治状況は、「民意を反映したくない」ってことになりますな。