雍正帝は清朝の第5代皇帝。在位が1722〜1735年というから、日本の享保年間に当たる。清朝は満州族が立てた王朝で、1644年から1912年までの長きにわたって中国を支配した。
雍正帝は特殊な独裁システムを構築した。信用できなければ、兄弟であろうと容赦なく切り捨てた。その一方で自分自身に激務を課した。一日の睡眠時間は4時間であったという。そして、民を思いやる皇帝でもあった。容易に捉えられないところに、この人物の魅力がある。
彼は権力を我が身に集中させながら、その務めを限界まで果たそうと奮闘した。それは、一身の栄誉栄達を目指したものではなく、国家を磐石にするためであった。その意味では、独裁というよりもむしろ純粋な中央(=皇帝)集権主義とすべきなのかも知れない。
宮崎市定の文章には気骨を感じさせるものがある。高い見識が独特の語り口で綴られている。
世論(=輿論)に関する興味深い記述があった――
康熙帝(こうきてい)は寛仁大度の君主というので評判がよかった。しかし世の中の評判などというものは実際はあてにならない。輿論は結局有力者の輿論に過ぎないで、世の中には輿論の埒外におかれてどん底に喘いでいる窮民の方が多いのだ。朝から晩まで寸時も休息なく働かなければ食ってゆけない農民には、輿論をつくる余裕なんぞない。輿論というものは知識階級から出た政治家が、政治をほったらかして、酒を飲みながら詩文に興ずるあい間あい間に発散する貴族的な香気にすぎないのだ。
【『雍正帝(ようせいてい) 中国の独裁君主』宮崎市定〈みやざき・いちさだ〉(岩波新書、1950年/中公文庫、1996年)】
民主主義となった我々の社会では世論が重んじられる。民主主義の目指すところが多数決であるならば、それでもよかろう。しかしながら、そうであってはいつしか衆愚という落とし穴が待ち受けているに違いない。
特に昨今はメディア情報に翻弄されやすい傾向にある。鬱積の溜まった国民は、わかりやすい論調や勇ましい話に飛びつきやすい。テレビは我々に沈思黙考させない。我々は知らず知らずのうちに、感情の条件反射によって物事の判断を強いられる。
宮崎市定の指摘は現代に向けられたものと思えてならない。格差などという軽い言葉は統計的な意味合いしか持たないだろう。生活するために呻吟(しんぎん)している人々が政治を論じるとは到底思えない。
また、政治に過度な期待を寄せるのも危うい姿勢だ。政治というものは、所詮枠組をつくるものであって、運用する人々次第でよくもなれば悪くもなるからだ。もしも完璧な政治体制というものがあったとすれば、これほど不気味なものもあるまい。