昨今はやや落ちぶれた感のある本多勝一だが、権力と対峙する姿勢を彼から学んだ人も数多くいることだろう。
ある山国に、跳躍力の並はずれて強い男が現れました。高い塀などらくらく跳び越えます。今でいえば高跳びの選手にんるところでしょう。とにかく村中の評判になりました。評判は地方の大名の耳にはいり、やがて将軍の耳にもはいります。ついに将軍が「呼びよせて、やらせてみよ」と命ずる。そのとき、跳躍して越えるべき柵の反対側、男の着陸する地点に、たくさんの竹槍が植えこまれていたというのです。少しでも変わったことをするものは、権力者にとって明らかに利用価値があるものでない限り、高跳びでさえも危険な冒険とみて圧殺の対象とされたのでしょう。
今読むと、真偽のほどが疑われるような文章である。本来であれば特定すべき人名や地名、はたまた年代などが全くの不明。私の手元にある古いノートにはこの箇所しか記されていない。
しかし、取り敢えずのところは、このエピソードが歴史的事実であったと仮定して話を進めよう。私が驚いたのは、「竹槍を植えこんだ」ことだ。権力者は、並外れた跳躍力を確認した上で殺害している。家来に命じて斬ることなどわけもないのに、わざわざ舞台装置を作ったのだ。実際の作業に携わった者は複数名はいたであろうし、作業を見つめていた人々もいたはずだ。かような目撃者は否応(いやおう)なく「権力の恐ろしさ」を確認させられる羽目となる。しかも、だ。多分、こうした具体的な計算はしていなかったことだろう。ここが恐ろしいのだ。
社会のあらゆる集団が組織化されている。組織が形成されると、必ずそこには権力が生ずる。権力とはわかりやすく言えば「人事と金」だ。そして、組織の力学は、本来の目的を無視して「組織の維持、拡大」に向かう。こうして、組織は「人間をコントロールする」ようになるのだ。権力の本質がここにある。