忘れないうちに書いておこう。養老孟司は「われわれの社会では言語が交換され、物財、つまり物やお金が交換される。それが可能であるのは脳の機能による」(『唯脳論』)と書いた。
佐藤●マルクスが解き明かしたことの中でも重要なのが「国家」と「貨幣」の機能だと思います。両者とも人と人との関係性から生まれてきたものなのに、人の意思に構うことなく人を動かすことができる。それほどの〈暴力性〉を帯びていることを明らかにしました。
魚住●「国家」も「貨幣」も人間がつくったものにもかかわらず、人間を支配してしまったということですね。
佐藤●ええ、そうです。加えて「国家」と「貨幣」は人間を超越したものとして感じませんか。たとえば、「国家」の名において人を殺すことができる死刑制度、あるいは人に人を殺しに行けと命令する戦争。それらは正当化されていますよね。「貨幣」で言えば、必要以上に欲しくなる。預金通帳の数字が増えるのを見てニンマリとすることがそうでしょう。「国家」と「貨幣」には〈呪術性〉もあります。
で、この二つの考えを統合してみよう。するとこうなる。「お金は、脳から溢れ出た“肥大した自我”である」と。ウン、中々いいね(笑)。この考えでいけば、金融マーケットで大量に行き交う“欲望”が見えるような思いがする。
本能・情動を司っているのは脳の視床下部だから、証券会社の取引画面はまさにうってつけ。しかもこの視床下部、身体の神経・ 内分泌・免疫系をコントロールしており、苫米地英人が説く「ホメオスタシス(恒常性)」を支えているのだ。視床下部、恐るべし。
我々を振り回すお金という代物を生んだ犯人は、視床下部であると断定しておきたい。「だから、何なんだ?」「それが、どうした?」という質問は謹んで拒否させて頂く。