・相対化がハードボイルド文体の余韻を深める
・『キリング・フロアー』リー・チャイルド
・『反撃』リー・チャイルド
・『警鐘』リー・チャイルド
・『葬られた勲章』リー・チャイルド
内野手の間を抜けてゆく鮮やかなツーベースヒット。そんな印象だ。文章がいい。読み終えた瞬間、本のボリュームに驚く。それほどスイスイ読める。展開がやや冗長ではあるが、時折、警句の余韻を響かせる引き締まった文章が現れるので、あまり気にならない。
ジャック・リーチャー・シリーズは既に10冊以上出ている模様。本書は番外篇のようだ。軍人モノで、上層部の陰謀を暴くといった内容。ベルリンの壁が崩壊した頃が背景となっており、軍隊の構造が変化を余儀なくさせられる様相がよくわかる。
死に至る心臓発作とはどんなものなのか、だれも知らない。生きのびて教えてくれる者などいないからだ。
物語全体が生と死のモノトーンに包まれている。転属したばかりのリーチャーが、ある将軍の死を知らされる。事件性はないと伝えられていたが、明らかに不審な点があった。リーチャーは一人で密かに捜査を続けた。将軍の家を訪ねたところ、そこには夫人の遺体があった。
明らかに証拠が少なすぎた。将軍は会議に向かっていたにもかかわらず、書類一つ持参していなかった。
「会議にはいつだって議題がある。そしてその議題はいつだって書類にしたためられる。なんにでも書類はつきものなんだ。軍用犬(K-9)のドッグフードをべつのものに替えたいときだって、47回会議をやって、47枚の書類が作成される」
上手い。上層部の官僚主義を巧みに表現している。ニヤリとさせられるところにハードボイルドの真骨頂がある。
「感謝するよ」わたしは言った。「わたしの側についてくれて」
「わたしが少佐の側についたんじゃありません。少佐がわたしの側についたんです」
新しい上司が捜査を妨害する。そしてリーチャーを手助けしたのがスピード狂の黒人女性兵士だった。ま、軍人だからハチャメチャなキャラクター設定は難しかったことだろう。会話を反転することで相対化を図っている。こういったところがハードボイルド文体と絶妙にマッチしているのだ。もちろん生と死も相対化されている。
人間の体には全部で210本以上の骨があるが、ピクルズというこの男の骨はほとんど折れているようだった。彼ひとりでこの病院の放射線科の予算をそうとう使っていた。
これまた同様で、怪我と治療費を相対化することで事実を突き放している。ハードボイルドとはリアリズムを追求する文体のことであって、タフな生きざまを意味する言葉ではないのだ。リーチャーは怪我人を脅して情報を吐かせる。
「わたしはGRUで5年も訓練を受けた。人の殺し方はわかっている。殺さないやり方も」
GRU(グルー)とはロシア連邦軍参謀本部情報総局のこと。アメリカのCIAに該当する組織だ。旧ソ連時代から存続している。つまり血も涙もないってことだわな。ミステリの台詞ではあるが、ブッダの初期経典のような味わいがある。
コントロールされた意志から繰り出される計算済みの暴力。ここに軍隊の本質が浮かんでくる。
組織と政治という骨太のテーマを描いて秀逸。リーチャーと母親のやり取りも哲学的示唆に富んでいる。