古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

目撃された人々 19


 何度か挨拶を交わしたことのある女性だった。年の頃は私と同じくらいであろうか。40代半ばと見た。化粧っ気はないのだが可愛らしい顔立ちで、心ばえのよさそうな印象を受けた。


 彼女が乗っている自動車に車椅子マークがあることを私は以前から知っていた。昨日、そのことを訊ねた。私が繰り出す質問はいつでも不躾だ。「ご家族に障害のある方がいらっしゃるんですか?」。


 彼女の反応は予想外のものだった。目を逸らし、顔を伏せたのだ。それから、泣き笑いのような表情を浮かべて、「子供が……」と答えた。


 私は非礼を詫び……るわけがない。私はミスター非礼だ。「お子さんはおいくつなんですか?」と重ねて問いかけた。


 私は図々しさを絵に描いたような人物でもあるが、あの一瞬の暗い表情に思いを馳せざるを得なかった。「子供に知的障害があるのは母親に原因がある」――誰かにそう言われたことがあったのか、自分でそう思っているだけなのかはわからない。しかし、紛れもない羞恥心のような匂いを私は感じた。


 取ってつけたような優しい言葉は、一瞬だけでも彼女の心を癒すかも知れない。だが、そんなものにはパウダーシュガー程度の甘さしかない。彼女は日々、心も凍りつくような現実が待ち受ける我が家へ帰らなくてはならないのだ。


 笑顔の裏側に隠された悲しみ。それこそが、彼女の笑顔を際立たせていたのだ。「かなしい」は「愛しい」とも書く。彼女の悲しさは、子への愛(いと)しさの表れであると信じたい。