薬師院仁志、柳父章


 2冊読了。忙しい中でも、何とか「書くクセ」をつけておかないとダメですな。あっと言う間に時間は過ぎ去ってしまう。光陰矢のごとく、浦島太郎のごとし。だが、私のいる場所は竜宮城にあらず。


民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう薬師院仁志/ハイ、見事に正されました。目からウロコが5枚ほど落ちる。モンテスキューやルソーは、「くじ引きで議員を選ぶことが真の民主主義である」と説いていた。つまり、選挙と民主主義の間には何の関係もないそうだ。いやはや凄いね。著者は変質してしまった民主主義を暴き出し、いびつな形を示した上で、「ちゃんと国家の枠組みを考えましょ」と提案している。文章がややくどいところもあるが、新書並みの短い章立てで構成されているので読みやすい。読み終えると、政治家が間抜けに見えて仕方がない。


翻訳語成立事情柳父章(やなぶ・あきら)/1982年初版。翻訳語は“輸入された概念”そのものだった。俎上(そじょう)に載せられたキーワードは、社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・自由・彼、彼女。「個人」が翻訳語であることは阿部謹也の『日本社会で生きるということ』を読んで既に知っていた(明治17年ごろとしている)。ということは、明治以前に「個人」は存在しなかった。これが封建社会の実態だ。当時の文学論争までフォローされていて、書誌学的にも貴重な作品だ。