さて、これ(=リップマンの理論)で民主主義社会には二つの「機能」があることになった。責任をもつ特別階級は、実行者としての機能を果たす。公益ということを理解し、じっくり考えて計画するのだ。その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。
民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。
【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】