・『科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳
・権威者の過ちが進歩を阻む/『科学と宗教との闘争』ホワイト
・自由とは良心に基いた理性
・合理性を阻む宗教的信念
・魔女狩りの環境要因/『魔女狩り』森島恒雄
・キリスト教を知るための書籍
歴史を俯瞰すると鮮やかに色彩が変わる時期がある。そのグラデーションを確かな目で捉える時、歴史はドラマと化す。時代の変化は、人々の価値観や社会の仕組みが変貌したことを意味する。単純な進歩主義は既に否定されている。しかしポストモダンが何かを解決したとも思えない。
時代や社会に収まり切らない人物が必ず存在する。歴史の枠組みを超越する行為が次々と連鎖すれば新時代が顔を見せる。抑圧や不自由が長く続いたとすれば、それはその時代の人々が抑圧や不自由に加担し、支持したことになろう。
これは大変勉強になった。見事な教科書本となっている。自由とは詮ずるところ、学ぶ自由と信じる自由に尽きる。この権利を獲得するまでに人類はどれほどの血を流してきたことか。本書では西洋史の変遷を辿りながらダイナミックに論じられている。
ソクラテスは彼に耳を傾ける人とならば相手かまわず語り合ったものだが、その相手に彼が熱心に教えたことは、大衆のすべての信念を理性の法廷に引き出すべきこと、あらゆる問題に捉われない精神をもって当るべきこと、多数者の意見や権威の指図に従って判断すべきでないこと、であった。要するに、一つの意見の真偽については、それが大多数によって支持されているというような事実とは別の、意見の正当性の調べ方を求めよ、ということであった。
古代ギリシアには自由の風が吹き渡っていた。合理主義の花があちこちに咲いていた。ソクラテスを筆頭にヘラクレイトスやデモクリトスなど強靱な知性が台頭していた。
ソクラテスは無知の知を自覚することで言葉に魂を吹き込んだ。彼は対話を通して「知っていることと知らないこと」「知り得ないことと知り得ること」を徹底して見極めようとした。人々の脳味噌は激しく揺さぶられた。生きた言葉を重んじたソクラテスは、文字を死んだ言葉として嫌った。このため著作は弟子プラトンなどによるもので本人は残していない。
そして自由な思考は葬られる。ソクラテスは「単に生きる」ことよりも「善く生きる」意志を貫き、自ら刑に服して毒杯を呷(あお)った。
西洋はその後キリスト教で染め上げられる。人類史を紀元前後に分けるほどのインパクトであった。
宗教寛容令(※311年)から約10年のち、コンスタンティヌス大帝はキリスト教を公認宗教に採用した。この重大な決断から、理性は鎖につながれ、思想は奴隷化し、知識は少しも進歩しない1000年がはじまった。
犯人は教会とアリストテレスだった。思考というのは不思議なもので自由を目指す一方で、束縛を好む傾向もある。当時の人々は多分単純さを選んだのだろう。良いこと悪いことは、神の祝福と裁きで説明可能だ。
1022年にフランスのオルレアンで十数人の異端者が捕縛され、フランス王ロベール2世は火刑を命じた。これ以降、異端発覚が顕著になる。11世紀後半には沈静化するものの、12世紀になると火を噴く。異端審問は魔女狩りへと跳躍した。
異端追及の最も有効な手段の一つは「信仰勅令」であった。これは全人民を異端審問の仕事に従事させ、各人が諜報人になることを要求した。時折、一定地域の巡察を行ない、異端について情報を得た者は出頭して報告するきおと、もしこれに反するときは現世と来世における恐るべき罰を受くべしとする勅令が布告されたのであった。結果としては、すべての人間が近隣の住民や自分の家族からの疑念すらまぬがれないことになる。「全人民を征服し、その知能を麻痺させ、もう毛的な従順に追いこむものとしてこれ以上巧妙な工夫が発明されたことはない。これによって告発は高尚な宗教的義務にまで高められた」。
異端審問が準備した原則は、100人が冤罪(えんざい)に苦しむとも一人の有罪者を逃してはならないというのであった。火刑用の薪を寄進する者は誰でも免罪符を与えられた。しかし異端審問法廷自身が火刑を宣告することはなかった。キリスト教会は流血の罪を犯してはならないからである。教会の判事は、被告は改宗の見込みのない異端者だと宣告して官憲に引き渡す(公式用語では「安息〈リラックス〉させる」)、そして「この被告を恩恵と慈悲とをもって遇せんことを」と治安判事に依頼し責任を委託するのであった。しかし、この形式だけの慈悲の要請を官憲が考慮するはずはなかった。官憲としては死刑以外に選択の余地はなかった。そうしなければ官憲は異端の奨励者となる。教会法によれば、すべての王侯、官吏は、異端審問から引き渡された異端者を滞りなくただちに処刑しなければ破門されることになっていた。(中略)
こうした迫害によって教会が採用した法律的手続きはヨーロッパ大陸の刑法に悪影響を及ぼした。異端審問史家リーは述べている。「異端審問がその結果としてもたらしたいろいろな害毒のうち、次の点がおそらく最大の害毒であっただろう。――すなわち、18世紀末にいたるまで、ヨーロッパの大部分にわたって、異端撲滅のために発展した異端審問方法が、異端以外のいかなる種類の被告をも処理する常套的方法になり終えたという事実であった」。
宗教とは信ずる行為である。そして信ずることは「疑わないこと」とセットになっている。信仰と懐疑は両立し得ない。知性と感情とが別次元であるように。
我々だって全てを自分で判断するとなれば結構しんどいものである。仕事にしてもやるべきことを指示された方が楽だ。人生の行き先も決定済み。名の通った大学を出て一流企業へと。
社会や集団がヒエラルキーによって支えられている以上、そこには共通の価値観がある。成功するためにはルールに従うのが一番だ。出る杭は打たれる。長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰。「学校へ行ったら先生の言うことをよく聞くのよ」ってわけだ。
西洋の中世を嘲笑うのは簡単なことだが、実は我々が法律に額づいているのと大差ないようにも思える。我々は法律を疑わない。自分や家族が逮捕された時以外は。きっと俺たちは法律に縛られるのが好きなんだろうな。
本気で考えてみよう。宗教的あるいは社会的な罪というのは、コミュニティを危険にさらすかどうかという判断が基準になっている。これはチンパンジーの世界でも同様だ。
さて、教会が最大の影響力をふるったこの時期には、理性は、キリスト教が人間の心の周囲にうち立てた牢獄の中につながれていた。実は理性は活動しないでいたのではなく、その活動が異端の形をとっていたのである。比喩的にいえば、牢獄の鎖を断ち切った者も、その大部分は牢獄の塀をよじ登ることができなかったのである。彼らの自由は、正統主義そのものと同じキリスト教的神話にもとづく信仰に到達する程度のものでしかなかった。
例えば人権や正義、あるいは環境など。こうした言葉が出てくると思考は停止する。「お前は白って言うが、グレーの可能性だってあるわけだろ?」と言うことも許されない。白ったら白なんだよ。異論を挟めば異質な存在として浮き上がってしまう。
だから、どこで自分の思考が止まりやすいかを普段から確認することが必要だ。文章や話の結論というのはいつも同じ調子になりやすい。
もし真理の潮が「絶え間ない前進の形で流れないならば、それは迎合と伝統の泥沼と化するであろう」。(ミルトン『アレオパギティカ 無検閲出版の自由のために』1644年)
350年以上も前にこれほどの知性が存在したことに驚きを隠せない。大詩人ジョン・ミルトンは清教徒革命において革命政府の中枢に身を置いた。イギリスに共和制がもたらされた後も激闘は続いた。失明、そして王政復古による逮捕。一大叙事詩『失楽園』は口述で記された。(※「革命に生きた新教詩人」を参照した)
時代を飛び越えた人は、時代を見下ろすことができる。深海魚は波しぶきを知ることもないし、太陽を見ることもない。人類の先祖が海から陸に上がったのであれば、我々は空飛ぶことを目指すべきだろう。