古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

クリシュナムルティが放つ光/『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス

『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス

 ・クリシュナムルティが放つ光

『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス

 三部作評伝の第二作で、『クリシュナムルティ・目覚めの時代』に続くもの。「プロセス」という悟達(ごだつ)の境地を経て、クリシュナムルティは神秘教団(星の教団)を解散する。この前後から1980年(85歳)までが描かれている。


 傑出した人物は激動と混乱の中から登場する。歴史の歯車が軋(きし)みをあげて崩壊する直前に新しい力が生まれる。クリシュナムルティが教団の解散宣言を行ったのが1929年8月2日のこと。そしてこの年の10月24日に世界大恐慌の幕が切って落とされた。大恐慌は大不況となり、歪んだ経済によって戦争へと導かれた。

 第二次世界大戦が行われている間、クリシュナムルティは公開講話をせずに沈黙の中で過ごしている(1940年8月末〜1944年5月中旬まで)。クリシュナムルティは一貫して反戦の態度を示した。だが多くの人々はそれを理解できなかった。聴衆が去っていったこともあった。


 オルダス・ハクスレーからのアドバイスを受けてクリシュナムルティは戦時中に文章を書くようになった。これが後に『生と覚醒のコメンタリー』として出版される。ということは、40代後半であれほどの文章を書いていたことになる。彼の思想を組み立てるためには必要な時期であったように思われてならない。クリシュナムルティは混乱の嵐が通り過ぎるのを待った。沈黙の中で時が訪れるのを待ち続けた。

(ロム・)ランドー(著述家)が(ロビンソン・)ジェファーズ(詩人)に、Kの教えは大衆的になるだろうかと訊ねたところ、ジェファーズは「今は無理だ。たいていの人々は理解できないだろう」と答えている。「彼に会って何にいちばん感銘したか?」というランドーの質問に対する答えは、「彼の人柄だ」であった。「私の家内は、クリシュナムルティが入って来ると光が部屋にさしてくるように思えたとよく言ったが、私も同じ思いだった。なぜなら、彼自身が彼の率直な教えの最も確かなあかしだからだ。私にとっては、彼の話が上手だろうと下手だろうと関係はない。何も話さなくても彼の影響を常に感ずるのだ……。彼が常に話している真理や幸せを伝播してくれるのは、彼のたいへんに楽しい個性なのだ」。ジェファーズはさらに、言葉で皆に理解できるものになったとき、彼の教えは円熟期に入るだろうとも言っている。
 ランドーはその後数日間Kと二人で話をし、主として質問に答えてKが述べたことを、何ページかにわたって引用している(『God is My Adventure』〈神は私の冒険である〉という著書)。顕著な点は、真理、解放または神、どう名前をつけようと、それらは知性や体験を通して見出すことはできないということである。真理とは、記憶の重荷から心の束縛をほどくことである。真理とは、自分自身の内外でたえず生に目覚めることである。生はどの瞬間も完全に生き抜かれなければならない。真理を探究する必要はない。それは古い体験の積み重ねの下に隠されてはいても、常にその場に存在する。幸せ、真理、神は自我(エゴ)によっては発見できない。自我(エゴ)は環境の結果以外の何ものでもない。ランドーはあるところで訊ねている。「あなたはほんとうに、一度も哲学書を読んだことがないと言われるのですか?」と。Kはこう答える。「あなたこそ、本から何か学べると思うのですか? 知識を蒐集し、事実や技術を学ぶことはできるでしょう。しかし、真理や幸福やほんとうに大事なことは何も学べません。あなたが学ぶことができるのは、あなた自身の生を生き、それを承認することからだけです。他人の生からではありません」。


【『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】


 思想は言葉に過ぎないが、悟性は必ず体現される。目の光、声の響き、そして親しみのこもった柔軟な振る舞いとなって現われる。


 前書同様、本書にはスピリチュアル系の人々が大喜びしそうな場面がたくさん描かれている。それはそれで仕方がない側面もある。なぜなら我々の興味は常に刺激を求めてやむことがないからだ。クリシュナムルティ自身が不思議な能力を知られることを嫌っていた。しかしながら、著者が取材を重ねる中で注目せざるを得なかった気持ちも何となく理解できる。ここのところを読み誤ると本書の意義は失われる。


 私は、クリシュナムルティが言葉を操って聴衆の一人ひとりとつながる世界に惹かれる――



 この画像は写真である。しかし絵のような光景である。言葉は映っていないにもかかわらず、我々は空間に満ちている何かを受け取る。ブッダが法を説いた時、眉間から白い光を放ったと経典に書かれている(白毫相〈びゃくごうそう〉)。それは「智慧の光」であったことだろう。ブッダの言葉を聴いた人々は、自分の生きる世界が見る見る明るさを増してゆくことを実感したに違いない。クリシュナムルティも同じ光を発している。そして彼はブッダと同じように、必ず人々からの質問に耳を傾けた。


 尚、本書がamazonでは販売されていないので、メアリー・ルティエンスが総集編として編んだ『クリシュナムルティの生と死』を紹介しておく。


クリシュナムルティ流「筏の喩え」/『クリシュナムルティ・目覚めの時代』、『クリシュナムルティ・開いた扉』
自由は個人から始まらなければならない/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
「愛」という言葉/『未来の生』J・クリシュナムルティ