古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ミルトン・フリードマンによるクリシュナムルティの記事

 かつてはフォード大統領の特別補佐官であり、ホワイト・ハウスのスピーチ原稿を作成する仕事に携わってもいたミルトン・フリードマンを通して、今年はKがニューヨークの代わりにワシントンで講話をするように手配したのは私であった。彼の主題は「われわれはほんとうに平和を望むのか?」であった。フリードマンはその前年オハイでKに会っていたが、その後彼について長い論説を書き、「ワシントンはクリシュナムルティを迎える用意があるか?」というタイトルで1984年7〜8月号の『ニュー・リアリティーズ』に発表していた。「クリシュナムルティがワシントンにやって来る見込みがあると知ったら、アルバートアインシュタインはさぞかし喜んだであろうに」とフリードマンは書いていた。「核戦争のような問題は、このような事態が進展してきたのと同じレベルの理解では解決しえないだろう、より高い気づきのレベルが不可欠なのだ、とアインシュタインは主張している」。

 クリシュナムルティはワシントンに何か素晴らしいものを提供しようという望みはもっていない。……ケネディ・センターでの、花で飾りたてたプージャもないだろう。廊下に香(こう)の匂いが漂うこともないだろう。歌声もないし、オルガンやシタールの響きもない。コンサート・ホールの広い演壇の上で、ただひとり、クリシュナムルティが背もたれのまっすぐな椅子に生まじめにきちんと坐っているだけなのだ。
 クリシュナムルティは導師の役割を放棄する。クリシュナムルティがワシントンにやって来るのは、たんに人間存在の旧概念が――それらを未だ擁護している人にとってさえ――もはや信じられないことが明らかになってきているときに、来て欲しいと頼まれたからだけなのである。……クリシュナムルティは最近こう洩らしている。「たとえ仏陀やキリストやローマ法王レーガン氏が私にすべきことを告げたとしても、……私はしないだろう。というのも、たったひとりで立っていることがどうしても可能でなくてはならないからだ。そしてそうしようと思う人は誰もいない」。……彼は、自己正当性をもって他人を変えようとする人々を嫌悪するのである。彼の信条は、自分自身を変えよ、である。……あなたが世界なのだ。……彼は終始一貫して「選択なき気づき」に言及する。選択は方向、エゴイズムを巻きこんだ意志の行為を意味する。クリシュナムルティの見解によれば、それは自分の中に起こったあらゆるものを瞬間から瞬間へと、方向づけをするとか変えようとかという努力はいっさいなしに気づくこと……純粋な観察、知覚、無努力の変化をもたらすことがなのである。
 ワシントンでは、誰がクリシュナムルティの哲理に心を開くのであろうか? 保守的な教理にとらわれきっている人々では断じてない。……クリシュナムルティは自分は権威ではないと力説する。彼はある発見をした。彼はその発見したものを、彼に耳を傾けるすべての人たちにわからせるための最善をつくしているのだ。教理の母体や静かな心を得るための方法など何も提供してはいないのである。
 彼は新体系の宗教的信念をつくることには一向に関心がない。クリシュナムルティが注意を呼びかけているものを自分自身で見つけ出すことができるかどうかを探り、そこから自分自身の新発見に進んでゆくのは、むしろ各人次第なのである。


【『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)】


クリシュナムルティ・開いた扉