・不可触民=アウトカースト
・ガンディーはカースト制度の信奉者であった
・不可触民は立ち上がった アンベードカルは先頭に立った
・アンベードカルの名言
・ガンディーは不可触民制撲滅運動を起こしていない
・アンベードカルに対するガンディーの敵意
・ガンディーは「死の断食」をもって不可触民の分離選挙に反対した
・ヒンズー教は社会的不平等を擁護する宗教
・神様やヒーローを待ち望んではいけない
・宗教は人間のためにあるのであって、人間が宗教のためにあるのではない
・アンベードカル「私には宗教が必要だ。しかし宗教の名に隠された偽善はごめんだ」
・『不可触民 もうひとつのインド』山際素男
・『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
・『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム
いつの時代も歴史は勝者によって綴られる「後出しじゃんけん」だ。負けた人々は「ずるいよ」と言うことも許されない。勝てば官軍、負ければ賊軍だ。
インドといえばガンディーである。インド独立の父と呼ばれ、マハトマ(偉大な魂)と称えられた。私も「何となく」尊敬していた。さしたる理由もなく凄い人物だと思い込んでいた。遠くの山河が美しく見えるように、遠い過去の歴史もまた美しい。距離は汚穢(おわい)を隠す。50メートル離れれば、あなたも美人に見えるはずだ。きっと。
マハトマ・ガンディーは不可触民制廃止のために戦った。しかし彼は、一度としてカースト制度を否定したことはなかった。ガンディーが目指したのは、不可触民(アウトカースト)をカースト内の最下層に収めることだった。カースト万歳。ガンディーはバラモン階級出身だ。(※ヴァイシャ出身とのこと)
不可触民の権利のために立ち上がったのはアンベードカルであった。インドにこれほどの巨人がいたことを私は知らなかった。それは恥ずべきことであった。“虐げられた人々”は“人類の苦悩”を体現する人々だ。であるが故に、人間扱いされない人々のために戦う勇者は、人類の苦悩を救う菩薩に等しい。アンベードカルは生涯にわたって、不可触民として生き抜いた。
アンベードカルは、貧しい不可触民の家に生まれた。
不可触民というのは、ヒンズー社会の最下層階級であり、太古の昔からカーストヒンズー(不可触民以外のヒンズー教徒)によって“触れるべからざるもの”として忌避されてきた。
1950年、インド新憲法がこの不可触民制を廃止するまで、不可触民階層は“触れるべからざるもの”“近寄るべからざるもの”“視るべからざるもの”という三つのクラスに区分され、徹底的に差別されてきた。その数約6000万。3億のヒンズー教徒の20パーセント、5人に1人が不可触民であった。
【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(三一書房、1983年/光文社新書、2005年)以下同】
ビーム(※アンベードカル)兄弟はいつも教室の隅っこに、家から持ってきたズック袋を床に敷いて座らせられた。それが不可触民の子弟への当然の扱いであった。多くの教師は面と向かって教えることも、質問することすら避けた。言葉をかけるだけで“穢れる”からだ。兄弟はのどが乾くと、誰かが水をのどに流しこんでくれるのを待つしかなかった。飲水に手を触れることは絶対許してもらえなかったからだ。
「穢(けが)れ」だとさ。罪もない人々を差別する自分達の薄汚い精神構造を不問に付して、よくもそんなことが言えたものだ。アーリア人のインド支配から生まれたカースト制度は、2500年もの間にわたってインドをがんじがらめにしてきた。これに勝る緊縛プレイはない。究極のSM思想――それがバラモン教でありヒンドゥー教の正体だ。あのガンディーですら差別思想から解放されることはなかった。
・インドのバラモン階級はアーリア人だった/『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
・仏教はもっともドグマから遠い教え/『ブッダ入門』中村元
赤道の直ぐ上に位置するインドで、飲み水を制限されることは文字通り死活問題となる。金がないことよりも切実だ。特定の人々をばい菌扱いするような思想は、今尚インドを支配している。
・常識を疑え/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン