ガンディーは「死の断食」をもって不可触民の分離選挙に反対した/『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール


 アンベードカルは巨象の尾を踏んだ。それがどんな事態を招くことになるかを知っていながら。獄中にあったガンディーは国民的人気を利用して、不可触民の分離選挙をトリッキーな方法で妨げた。ハンガーストライキ(死の断食)を強行したのだ。命懸けのパフォーマンスであったが、これほどまでにガンディーはカースト制度を信奉していた。そして、インド中からアンベードカルに対し非難中傷の嵐が吹き荒れた――

 各界の指導者、友人、その他様々な人びとが彼(アンベードカル)の下に押し寄せ、彼との話合いを求めた。猛烈なアンチ・アンベードカルキャンペーンが開始され、彼は再び化物、裏切者になった。
 アンベードカルはしかし落着き払っていた。彼は別の声明を発表し、不可触民問題は比較的重要性が小さく、インド新統治の付帯的なものだ、という円卓会議でのガンディーの言葉を紹介しつつ、
「円卓会議であれほど主張していたインドの独立のためにこそ、このような非常手段を採ればよろしかろうに」といい、「自己犠牲の理由として、コミュナル裁定の中で不可触民特別代表制だけを取り上げるとはなんとも奇妙で痛ましい話である。分離選挙は不可触民階級だけではなく、回教徒、シク教徒、クリスチャン、アングロインディアン、ヨーロッパ人にもあたえられているのに」と皮肉った。
 更に、もし回教徒、シク教徒への分離選挙が国家を分裂に導かないのなら、不可触民階級への分離選挙もヒンズー社会の分裂をもたらすこともないだろうといい、
「これまでも不可触民制を廃止し、不可触民階級を向上させ、そのような忌わしい階級を無くそうとひたすら努めた多くのマハトマはいた。しかしことごとくその使命は失敗に帰した。いつの世にもマハトマは現れ、去っていった。そして不可触民だけが常に不可触民として残されてきた」と結論した。


【『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール山際素男訳(三一書房、1983年)】


 アンベードカルは巨象の尻尾を踏みつけたまま、泰然自若としていた。彼はマハトマの権威を恐れることがなかった。ただただ、不可触民が苦しみ続けることを恐れた。

 分離選挙とは、不可触民が独自の候補者を立てて、かつ、独自の選挙を不可触民だけの選挙区内で実施しようという方法である。


【「松本勝久の部屋」による】


 他宗教の人々には認められている分離選挙であったが、ガンディーは同じヒンドゥー教徒であるにもかかわらず、不可触民という理由だけで絶対に容認しなかった。


アンベードカルの生涯 (光文社新書)