戦時中、日本兵は中国人を食べた/『戦争と罪責』野田正彰

 本書もどんどん紹介してゆきたいのだが滞ってしまっている。


 日本兵による鬼畜の如き行為がいくつも出てくるが、これには唖然とした――

 また自白できることと、決して自白できないことがある。一人ひとりの脳裏を、自白できない罪行が掠めていった。いかに上官の命令と弁明しても逃れられない。自分の意思による罪行も浮んでくる。強姦を上官の命令とは言えない。処罰されることは極めて稀だったが、一応、強姦は犯罪とされていた。そのため兵士たちは強姦の後で女を殺したのである。
 第59師団第111大隊の下士官であった新井正代は、次のような罪行を書き残している(『私たちは中国でなにをしたか 元日本人戦犯の記録中国帰還者連絡会編)。

 私は2日前から18歳ぐらいの中国の娘を連行させていた。自分の慰みものにしていたのだが、いずれは何とか処置しなければならぬことは分っていた。
 このまま殺してはつまらない。私は一つの考えを思いつき、それを実行した。私は娘を裸にして強姦し、その後、庖丁で刺し殺し、手早く肉を全部切り取った。それを動物の肉のように見せかけて盛り上げ、指揮班を通じて全員に配給したのである。兵隊たちは人間の肉とも知らずに、久し振りの肉の配給を喜び、携行していた油で各小隊ごとに、揚げたり焼いたりして食べた。


 信じがたい残虐。こんな犯罪は戦友にも言えない。まして、勝者である中国人に言えない。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店、1998年)】


 戦争は人間を獣に変貌させる。人間はいかなる環境にも順応できるということなのか。歯止めの利かない欲望が、人間の正体なのか。


 本書には、勇気を奮って自分が犯した戦争犯罪を告白した数人の方が登場する。野田正彰は直接インタビューをしながら、彼等の精神を分析する。当時の心理はどのような状況だったのか。そして、現在の精神は健全といえるのか。野田は疑問を呈し、時に辛辣な評価を下す。そう。評価だ。


 民族性に目を配り、時代を読み解きながらも、まるでカルテに書き込んでいるような素振りが感じ取れる。それが、結果的に本書の論旨を中途半端にしている。


 もちろん、彼等が犯した行為は許されることはあり得ないし、告白した程度で罪が軽くなるとも思えない。「よくも生きていられるもんだな」というのが私の本音である。やり直しが効くレベルをとっくに超えてしまっている。


 だがもっと大切なことは、彼等が実は私の祖父だったのかも知れないし、あるいは同じ状況になれば我々だって、そうならないとは言い切れないだろう。私は言い切ってしまうけどね。


 彼等が示したのは、人間の中に潜む「最悪の可能性」だ。人という動物はこれほどむごいことをし得るのだ。私は彼等の行為を知った。彼等の行為を学んだ。だから、同じことは絶対にしない。目の前でそのような非道が行われれば、私自身が“法”と化して、速やかに断罪するだろう。


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