インディラ・ガンジーは、インド初代首相ネルーの娘。1984年、護衛兵をしていたシーク教徒の凶弾に斃(たお)れた。
私は、インドのインディラ・ガンジー首相がお亡くなりになる2週間ほど前に何度かお会いしました。ちょうどその時、「仏教および国民文化に関する第1回会議」("The First International Conference of Buddhism and National Cultures")というのが開かれていたのです。この会議を開いたことが、ある意味でガンジー首相の最後の仕事になったといってもいいと思います。ガンジーさんがなぜそういうことを思いついたか、インド政府が国費を支出してそのようなことを行なったのはなぜかというと、開会式の中でこういうことをいっていました。
「今の世界は非常に危険な状態にある。文明は進歩したけれども、精神面ではいろいろとちぐはぐなことが起こっている。今度もしも戦争が起きたなら、勝利者もいないし、敗北者もいない。これをどうして防いだらよいか。そのためには高貴なる精神を必要とする。過去の世界の生んだ偉大な精神的指導者の教えに耳を傾けるべきである」
そこでまずブッダ(仏陀)をあげます。それからマハーヴィーラをあげます。これはジャイナ教の開祖です。それから3番目にあげたのがナーナタです。シク教の開祖です。次にマホメット、イエス・キリスト、孔子、老子、こういう人の名をあげました。世界の多くの人々が奉じ、耳を傾けている教えというわけです。
そして、
「こういう人々の教えに耳を傾けるべきであるけれども、とくに仏教はリースト・ドグマティックである」
つまり、仏教は、教義をたてに人を縛ることがもっとも少ない。
「だから私はその精神を明らかにするためにこの会議を開く」
といっていました。
アンベードカルを知った今、インディラ・ガンジーに対する私の評価は地に落ちてしまった。政治的に仏教を利用した感さえ覚える。所詮、ヒンズー教徒である。マハトマ・ガンジーも、ネルーも同じ穴のムジナだ。カースト制度を疑うことなく、カースト制度の維持に務めた連中なのだ。
カースト制度はアーリア人のインド支配によって誕生した。紀元前13世紀頃のことである。ブッダが生まれたのは約1000年後の紀元前463年(中村元説)だった。
岡田英弘によれば、インドは歴史を持たない国であるという。このため詳らかな事蹟は謎に包まれている。しかし、仏教がカースト制度を打破できなかったことは確かだ。思想は習慣に勝てなかったということなのか。
インディラ・ガンジーはプーラン・デヴィが憧れた人物だった。そして、「ファシズムの権化」「ヒトラーの再来」とインド国民から罵られた人物でもあった。