古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

近藤道生と木村久夫/『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編

 ・戦地で活字に飢える
 ・近藤道生と木村久夫
 ・知覚の無限
 ・酔生夢死


 昨日、あるお客さんから新聞の切り抜きを手渡された。「後で読んでよ」と。昼休みに目を通した。日本経済新聞で連載されている「私の履歴書」だった。書き手は博報堂最高顧問の近藤道生(こんどう・みちたか)。調べたところ、大蔵省銀行局長、国税庁長官などを歴任した人物のようだ。14回目のタイトルは“「生き残った」自責の念”。


Wikipedia


 中ほどに差し掛かって菊池章子の「星の流れに」が出てきた。お客さんは、私がこの歌に惚れ込んでいることを覚えていてくれたのだ。同記事から引用しておこう――

 復員直後から心に懸かっていた靖国神社に詣でたのは2〜3年後のある寒い日だった。歩いて行く途中、どこからともなく歌が流れてくる。
 一番は「星の流れに 身をうらなって」で始まり「こんな女に誰がした」で終わる。二番、三番も、やはり最後は「こんな女に誰がした」と悲しく問いつめる。
 菊池章子が歌う『星の流れに』という曲だった。気がつくと、とめどなく溢(あふ)れる涙を拳でぬぐいながら歩いていた。みすぼらしい身なりで行き交う女性たちに「戦争に負けたのはあなたのせいよ」と責められているような気がして、いたたまれない。
 いや、それだけではなかった。生き残った後ろめたさもまた、激しく自分を責め立てた。靖国神社に祭られた上官や戦友を前にして「なぜ自分は死ななかったのか」と答えのない自問を繰り返した。


【「私の履歴書近藤道生日本経済新聞 2009-04-15


・「星の流れに菊池章子ちあきなおみ、谷真酉美


 そして、最後には驚くべき事実が記されていた。

 カーニコバルでは陸海軍混成の現地住民対策部隊があり、私が初代の隊長だった。部下に木村久夫という学徒出陣組の上等兵がいた。京都帝国大学で経済学を学んでいたが哲学の造詣も深く、序列を無視して声をかけ哲学談義に花を咲かせた。
 私がペナンに転属になってから、木村上等兵は後任の隊長からスパイ容疑でインド人夫婦を処刑するよう命じられる。隊長と妻との間に何かあったのではないかという噂(うわさ)が流れる中での命令だった。
 命令は絶対で拒むことはできない。苦悩の末に命に従った木村上等兵戦争犯罪人としてシンガポールチャンギー刑務所で絞首刑になった。
 社殿の前の私の脳裏に、多くの人々の面差しと声がにじんでは消えた。
 28歳の若さで逝った木村上等兵の遺書の文面を、長い歳月を隔てて知る。
「音もなく我より去りしものなれど書きて偲(しの)びぬ明日という字を」
 これに続く処刑前夜の二首を読むことはできなかった。


【「私の履歴書近藤道生日本経済新聞 2009-04-15


 私は「木村久夫」という名前を覚えていた。遺書に書かれた歌も記憶に残っていた。『きけ わだつみのこえ』に収められているのだ――

 吸う一息の息、吐く一息の息、喰う一匙(ひとさじ)の飯、これら一つ一つの凡(すべ)てが今の私に取っては現世への触感である。昨日は一人、今日は二人と絞首台の露と消えて行く。やがて数日の中(うち)には私へのお呼びも掛って来るであろう。それまでは何の自覚もなくやって来たこれらの事が味わえば味わうほど、このようにも痛切なる味を持っているものかと驚くばかりである。口に含んだ一匙の飯が何ともいい得ない刺戟(しげき)を舌に与え、溶けるがごとく喉から胃へと降りてゆく感触を、目を閉じてジット味わう時、この現世の千万無量の複雑なる内容が凡てこの一つの感覚の中にこめられているように感ぜられる。(木村久夫 28歳)


【『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編(東大協同組合出版部、1949年/岩波文庫、1982年)】

 朝かゆを すすりつつ思う 故郷(ふるさと)の
                 父に許せよ 母よ嘆くな


 指をかみ 涙流して 遙かなる
        父母に祈りぬ さらばさらばと


 眼を閉じて 母を偲(しの)べば 幼な日の
               懐し面影 消ゆる時なし


 音もなく 我より去りし ものなれど
           書きて偲びぬ 明日という字を


 かすかにも 風な吹き来そ 沈みたる
         心の塵(ちり)の 立つぞ悲しき


(木村久夫 28歳)

 以下二首処刑前夜作


 おののきも 悲しみもなし 絞首台
          ははの笑顔を いだきてゆかん


 風も凪(な)ぎ 雨もやみたり さわやかに
               朝日をびて 明日は出でなん


 処刑半時間前擱筆す  木村久夫


 私は戦争を美化するつもりは毛頭ない。ここで、近藤の筆致に“戦争の反省”がないことを指摘するのは簡単だ。この文章には、自分と関係のある人々に寄せる思いはあっても、日本軍に殺された人々に対する想像力が完全に欠落している。


 しかし、だ。これは「私の履歴書」であるのだから、「私」を取り巻く人々に重きが置かれてしまうのは致し方ないだろう。むしろ近藤は、戦時と終戦における“ありのままの生”を綴ることで、戦争の悲惨を伝えようとしているのかも知れない。私は、靖国神社のあり方には甚だ疑問を抱いているが、近藤の心情には共感できる。


 また、木村の行状を知ったところで、『わだつみ』に記された文章の価値を損なうことはない。人間には善悪のバランスシートがある。善だけでも悪だけでも語り尽くせるものではないのだから。


若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィG・ピレッリ