・『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
・『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・ストレスとコミュニケーション
・死線を越えたコミュニケーション
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
・『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
・『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎
我が読書史に燦然と光を放つ一冊。心も身体もズタズタにされた人々は、どのように逆境を乗り越えたのか。心理学的なアプローチをしているのだが、答えは簡単だ。「この人を見よ」ということに尽きる。いずれも、“人類のモデル”となり得る雄姿だ。読むだけで生きる勇気を吹き込まれる。
「感情に圧倒されそうになったら、いつも大好きないとこに電話で話していたんです。そうしなければ、今日こうして生きていられなかったでしょう」と、癌を克服した患者が最近私に語ってくれた。
「2〜3日おきにトムと会って、昼食をとっていました。私が戦っている苦しみについて彼に話すだけで、生きていこうというガッツがわいてきたのです」これは、家庭や仕事が破局に陥りそうになった元アルコール中毒患者の言葉である。
危機的状況の中でよろめきながらも、それを切りぬけることができた人たちが、口を揃えて重要だと言うことがある。それは、コミュニケーションである。ただ一人の相手とでも、コミュニケーションを持つことは、生き延びていくための生命線となったのだ。
不幸なことに、強いストレスに直面すると、コミュニケーションがいつも通りに簡単にいくとは限らない。人生が危機にさらされると、私たちは、不思議なことに、友人や家族と距離ができて、人とかかわれないという感情を持つことが多い。そのような場合、私たちは次のような確信を抱くようになる。自分は一人で苦しんでいるんだ――誰もかまってくれない、自分のことを理解してくれる人は一人もいないだろう、と。そして、そのために、ますます引きこもるようになってしまう。
【『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル/小此木啓吾訳(フォー・ユー、1987年)】
「話す」は「離す」に通じる。つまらぬ見栄や体裁があるうちは「話せない」から、自分の中に「抱え込む」こととなる。抱え込んだ分だけ心は重くなる。重くなるから尚更話せなくなる。両手から背中まで荷物だらけだ。
そう考えると、人生を切り開く武器は、「何でも話せる友人」の存在なのかも知れない。時には弱音だったり、愚痴だったり、取るに足らない雑談のような代物であったとしても、「耳を傾けてくれる相手」が鏡となって自分の姿を照らしてくれるのだろう。その本質は「心がつながっている」という一点にある。
この話、もっと凄い続きがある。
・コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子