南米チリで、15匹の野良犬を引き連れて2年間にわたって放浪生活を送っていた10歳の少年が警察に保護された。「雌犬の乳を飲んで朝食代わりにした」と話している。
▼5歳の時に両親と離れて施設に引き取られた少年の冒険行▼放浪の様子を絵に描いて説明している写真が掲載されている。鉛筆で描かれた絵には後ろを振り向く犬と駆け出す犬がかろうじて見える。少年は日差しのせいか少し眩しそうな眼つきで、屈託ない顔つきでカメラを見つめている。右側の唇が笑みを湛えている。見ようによっては不適な面構えだ。飢餓に耐え、洞窟での夜をくぐり抜けた風貌そのものである▼この少年こそ『争いの樹の下で(丸山健二著:新潮文庫)』に登場した「おまえ」ではないのか。「動く者」「流れる者」とは、この少年に他ならない。そして少年世一の衣鉢を継ぐ者だ。▼無くなった2本の前歯はやがて生えてくる。後は、今まで以上の自由と独立を手に入れるだけだ。少年の行く末に無限の思いを馳せる。
作曲家の團伊玖磨氏、5月17日逝去。
「思想とか哲学を、感動に変えて聴衆に届けておられた」とはソプラノ歌手・佐藤しのぶの弁。冗談好きで『パイプのけむり』には、入れ歯を英国で作ったら英語の発音がよくなったとほめられたエピソードを紹介。
【朝日新聞夕刊 2001年6月25日付】
▼「聴き手のことを考えずに書かれた“実験的”な作品などは全く認めません。また、怜悧(れいり)な音楽や凄絶な音楽にも共感しますが、音楽には何より基本的な暖かさが必要だと思っています(『私の日本音楽史』)」▼また、あるレコードの推薦文では「不潔な唇(くち)にするのも恥ずかしい歌が巷に氾濫している昨今、すがすがしいこのレコードは、日本の青年の強い意志と、世に毒されぬ正しさを歌い上げて余すところがない」とも▼父君は三井財閥の大黒柱であった團琢磨(だんたくま)男爵。「事業は事業それ自体が目的であって、金もうけのためではない。金もうけがしたいなら、相場でもやるがいい」という信条の持ち主であった▼中国大陸の5月の空を、“つう”の如く翔んでいったことだろう。謹んでご冥福を祈る。