「地の塩の箱」~理想と絶望のはざまを生きた詩人を追跡/『昭和の根っこをつかまえに』北尾トロ

 このシリーズはオンライン・テキストで公開されている。飄々としたポップな文体で知られる北尾が、ややジャーナリスティックな構えで、平成に生き残る“昭和の根っこ”を捉えた作品。いずれの対象も“残滓(ざんし)”と軽々しく言うことがためらわれるような、生々しい人の生きざまが書き込まれている。第3回「地の塩の箱」の巻を読んだ。


 発端は錦糸町駅に備えられている「地の塩の箱」と書かれた募金箱だった。この募金箱に喜捨されたお金は出し入れ自由で、困った人は手を突っ込んで志を受け取ることが可能というもの。私は隣接する亀戸駅界隈に住んでいるが全く気づかなかった。


 北尾は募金箱に添えられていた機関紙に目を奪われる。詩人の江口秦一が昭和31年に創設。やがては731個まで増えたという。江口の死後、運動は急速に冷め、現在に至っては3ヶ所を残すのみとなってしまった。機関紙からは、重い筆で運動の困難さを嘆く様子が窺われ、98年に発行されたこの号以降は発行された形跡もない。北尾は現在の発行人である江口の娘(江口木綿子氏)の元へ走る。

 高名な詩人だった江口秦一氏が、昭和のドンキホーテとなったのは、知人一家の絶望的な生活を目の当たりにしたことがきっかけだった。その家族は、父親が工場で必死に働いても食べていけず、娘が親に内緒で売春をして家計を助けていた。そのことが親に知れ、絶望した娘が自殺したのだ。マジメに働き、つつましく暮らす親子が、なぜこのような悲劇に襲われなくてはならないのだろう。


 熱心なクリスチャンでもあった江口はじっとしていられなかった。真面目に生きる庶民を犠牲にする社会が許せなかった。更に、そうした社会を支えている自分をも許せなかったに違いない。江口は仁王となって立ち上がった。

 昔の人は貧しかったけれど、気持ちが暖かかったんでしょう。募金もそれなりに集まっていたようです。箱にあった10円のおかげで自殺を思いとどまった人から手紙がきたりもしていました。(木綿子さん)


 江口が開始した運動はマスコミなどでも取り上げられ、支援者は全国的な規模で増えていった。自らの信念に忠実に生きる江口は、生活の全てを犠牲にしてまで運動に我が身を捧げる。

 この運動に似た例を過去に求むれば、ガンジーの行ったそれであります(中略)さしずめ「地の塩の箱」は彼の手紡ぎ機であり、「箱」に金を入れるという行為は本質的に彼の断食に相通じるものがあるといってもよいのではないでしょうか。(機関紙より)


 革命的な運動は炎の如き一人の人物から始まる。その一人が世を去った時、理想を目指して始まった運動も下火となる。志を同じくする人間をつくれるか否か、ここに運動の成否があると言っても過言ではあるまい。仁王立ちとなった江口奏一が斃(たお)れた後に続く者はいなかった。


 北尾は江口木綿子氏より一冊の本を借り受ける。そこには、理想に生きた江口の衝撃的な末期(まつご)が書かれていた。江口は自ら首を吊って命を絶った。ロープからぶら下がった身体の静かな揺れが収まった時、運動の行く末は決定された。理想という美名の背中には、絶望という現実の絵柄が描き込まれていた。


 知人の娘の自殺から始まった運動が、主唱者の自殺で終焉を告げる。これほどの皮肉があるだろうか。「貧しい人を救いたい」――誰もが心のどこかで思いながらも行動しなかったことを江口は実践した。江口の絶望を察することは容易ではない。しかし、彼が上り詰めた高みから見えた社会の闇を想像せずにはいられない。彼を殺したのは、私であり、あなたであったかも知れないのだ。


 北尾のペンは淡々と事実を綴り、時に自己の所感を織り交ぜながら、浮かれた世の中に鋭い一瞥(いちべつ)を与える。


【※尚、北尾トロ氏は私の先輩ではあるが、公正を期すため文中の敬称は略した】


「地の塩の箱」の巻
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・『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕